Discover Nikkei

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第1回 子供を階段から蹴落とす
貧乏旅行でのぞいた現実彼ほど庶民階級のブラジル人に親身になって尽くしてきた人は少ない。定森徹さん(40、千葉県出身)は移民ではない。だが、大学卒業以来、十七年を 伯国で過ごしている変り種だ。聖市では…

Masayuki Fukasawa • Jan. 15, 2009


第3回 大正小学校(2)
「大正小学校(1)」を読む>> 大正小学校をはじめ、戦前のブラジル日系教育機関の最盛期は1930年代である。コンデの坂下からサン・ジョアキン通りに移転した大正小学校は、次第に学校としての機能を充実…

Sachio Negawa • Jan. 1, 2009


第2回 大正小学校 (1)
坂の多いサンパウロの中心部に、ブラジルの日本人にとって特別な坂がある。 「おいジャポネース(日本人)、気をつけなよ。この辺りはドロボーばっかりだよ」   汗をふきふきその…

Sachio Negawa • Dec. 5, 2008


第1回 はじめに
私たち人間の生活において、教育はもっとも基本的な営みの一つである。教育する/教育されるという行為は、衣食住とともに、人間生活に深く結びつい ていると言える。それゆえ、地域や集団によって、ことばや文化…

Sachio Negawa • Sept. 18, 2008



第12回 東洋街形成と一世リーダーたち(2) -水本毅-
「東洋街、東洋祭り、東洋市、鳥居の建立も、すずらん灯も、すべてミズモトの頭から出たんだよ…」 1973年から75年までサンパウロ市長を勤め、水本毅とともに東洋街を旗揚げしたミゲル・コ…

Sachio Negawa • March 27, 2008


第11回 東洋街形成と一世リーダーたち(1) -田中義数-
世界のどの移民史の局面でも、エスニックタウン形成の初期には、強力な指導力をもった大物リーダーが存在した。サンパウロ東洋街創設にかかわった日系大物リーダーといえば、まず思い浮かぶのが田中義数(1909…

Sachio Negawa • Feb. 21, 2008


大宅壮一の「名言」をめぐって
大宅壮一というジャーナリストがいた。昭和を代表するジャーナリストのひとりと言ってよいと思うが、政治から社会風俗まで広範な仕事に携わってい て、耳にした人の多くが、なるほどうまいこと言う、と唸るような…

Shigeo Nakamura • March 29, 2007


カデイアと日本人移民
第二次世界大戦中北米の日本人移民が、収容所生活を強いられたことは広く知られている。移民先国と祖国が敵同士となったのはブラジル日本人移民も同 じだ。ブラジルには収容所こそなかったが、やはり敵国人として…

Shigeo Nakamura • March 1, 2007


ワラと松と竹-ブラジル日系社会で新年を迎える
サンパウロから500キロ離れた小さな町。12月にはいると、いつも7時には早々閉めてしまう商店が遅くまでやるようになる。 街の中心の辻々には、財政が厳しいなか、市役所が提供したという、小さいながらも凝…

Shigeo Nakamura • Feb. 1, 2007


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