ディスカバー・ニッケイ

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私の県人会とのかかわり
私は、レースの賞品…真っ赤なプラスチック製のさくらんぼ飾りの付いた、かわいらしい白の編みバッグから目が離せませんでした。そう、あれは50年以上も 前のある夏の日の午後、山口県人会が催し…

アーリーン・ナカムラ • 2009年3月18日


第二次世界大戦中における在ペルー日系人:近年の論議の再考記- パート2
パート1 >> マヌエル・プラド政権と戦争に対する政策 1941年、世界各国が第二次世界大戦に突入した時、プラド大統領はペルーは能動的な中立の立場を保つと宣言し、これは「様々な活動や…

ユキコ・タカハシ・マルティネス • 2009年3月17日


第5回 5年目のデカセギ放棄家族会=残された家族の救済訴え
>>第4回ファッティマさんやヂジャルマさんのように、デカセギに行った配偶者の行方が分からなくなり、苦しい生活を強いられる留守家族は特別なことではない。 〇三年、ヂジャルマさんは自分と同じような境遇に…

池田 泰久 • 2009年3月14日


オキナワ第一日ボ学校創立20周年に見る日本語教育の意義
ボリビア国オキナワ移住地には、日系人によって運営されている小中学校として、オキナワ第一日ボ学校とヌエバ・エスペランサ小中学校とがある。日系人の家 庭の子供たちのほとんどが、両校に通っている。オキナワ…

木内 一夫 • 2009年3月12日


第4回 ヂジャルマさんの場合=2人の娘残して去った妻=デカセギ訪日後、音信途絶え
>>第3回「妻を捜しています。名前はイザウラ・チズエ・オカ・ストラウベ。小さな二人の娘をブラジルに残して日本に行き、一九九五年から連絡がありません。 彼女の最後の住所は兵庫県神戸市(・・…

池田 泰久 • 2009年3月11日


第二次世界大戦中における在ペルー日系人:現今論議の再考記- パート1
一国もしくは一つの集団の歴史よりもっと興味深いのは、さまざまな集団が、類似または異なったもの同士で統合・融合しあい共通の状況を生み出した時 である。第二次世界大戦中、このペルーに在住していた日本人及…

ユキコ・タカハシ・マルティネス • 2009年3月10日


第3回 マガリさんの場合=日本で家庭つくった夫=養育費止まり生活困窮
>>第2回「私はイオーニ。ルイスはあなたに養育費を払うと言っています」。〇四年某日、電話越しに響いたブラジル人女性の声に、マガリ・モレイラさん(46、聖市イタケーラ区)はすぐに悟った。夫…

池田 泰久 • 2009年3月8日


第2回 日系二世という「種族」 その1
ルイーザさんは、少なくとも仕事相手としては、きわめて第一印象の悪い人だ。ぶっきらぼうというのか、人によったらけんか腰に感じるのではないかと いうような態度を、わけへだてなく、誰にでも初対面から容赦な…

波雅 文人 • 2009年3月5日



第2回 ファッチマさんの場合(2)=無一文で戻った元夫=一家の幸せ奪い日本
>>第1回「彼もずい分老け込んだと思った」。十年ぶりに再会した夫の印象を、ファッチマさんはこう振り返る。娘のタイスさんが空港で父親と初めて対面したが、「彼と抱き合ったけど、お互い泣きもし…

池田 泰久 • 2009年3月3日


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