ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2009/3/18/kenjinkai/

私の県人会とのかかわり

私は、レースの賞品…真っ赤なプラスチック製のさくらんぼ飾りの付いた、かわいらしい白の編みバッグから目が離せませんでした。そう、あれは50年以上も 前のある夏の日の午後、山口県人会が催したピクニックで、母になんとかお願いをして、二人三脚の競技に一緒に出てもらった時のことでした。二世の両親は、 親戚やたくさんの友人たちと一緒に、毎年行われるピクニックに向けて、いつも早い時期から準備をすすめていました。母は太巻きや稲荷寿司、マカロニサラダ を準備し、伯母のメアリーは中華風焼きそば、ヤマネさんはお煮しめを担当していました。ピクニックが開催される特別な夏の午後を彩るため、私たちのグルー プの大人はそれぞれおいしいおかずを一品作り、お弁当に添えていました。ピクニックのお弁当は大変なごちそうだったのです。おいしい食べ物と楽しさ満載の ゲームと共に訪れるこの行事は、私たち一家が共に素晴らしい時間を過ごすイベントでもあり、県人会という1つの家族が充実した時を分かち合う機会でもあり ました。このピクニックが、私と山口県人会とのかかわりの起源になるだろうとは、当時の私は予想していませんでした。

成人した私が山口県人会の役員になったのは、ちょっとした偶然からでした。まず、私の夫にサン・フェルナンド・バレー地区の県人会代表に就任するよ う依頼がありました。しかし、初めてミーティングに参加した時、夫は会議が全て日本語で行われていることを知りました。夫は日本語を話すことができなかっ たので、彼は代表の役職を私に委任したのです。そしてそれ以来、私はたくさんの会合で様々な役を務めることになりました。

山口県人会とのかかわりの中で、私は多くの文化活動や事業について知る機会に恵まれました。そのような機会の一つにに、2001年に県人会が主催し た日本への旅があります。旅の目的は山口きらら博への参加でした。私たち一家9人が、この旅に同行しました。これは、私にとって素晴らしい旅になりまし た。自分のルーツに触れ、山口県人会のメンバーやその家族と共に感動を共有することができたのです。旅のハイライトを飾ったのは、山口県知事への表敬訪問 でした。二井関成山口県知事は私たちを歓迎し、南カリフォルニアにおける山口県人会の活発な活動を喜んでいました。そして知事との会談の様子は、日本の ニュース番組で放映されました。

県人会としての訪問日程が終了した後、私たち一家は滞在を2、3日延長し、母の4人の姉妹に会いに行き、母が生まれ育った場所を訪れました。家自体 は改築されていましたが、土地や田んぼ、小川の様子は母が覚えていたとおりでした。その旅を通して、私たちは素敵な思い出をたくさん作りました。そしてE メールという手段のお陰で、今では叔母の1人と頻繁に文通を交わし、自分のルーツをより身近にすることができたのです。

2005年、私は県人会役員と共に、あるプロジェクトに力を注ぐようになりました。そのプロジェクトとは、県人会発足100周年記念誌を作成する大 事業でした。他の県人会の先駆者同様、私たちの祖父母である一世の人々は、19世紀から20世紀にかけて合衆国に渡りました。そして1905年、彼らはよ りよい暮らしを求めてアメリカ本土に上陸しました。当時は移民への支援体制はなく、一世たちが頼ることができたのは、山口から先に移民した同胞だけでし た。その結果、人々の間には絆が生まれグループが形成されるようになりました。それが山口県人会の始まりでした。当時、県人会は必要性があったからこそ結 成された組織だったのです。情報提供や金銭の貸し借りそして友情に関わる様々な側面で、お互いに助けあっていました。中でも、彼らにとって最も重要だった のは親睦のための交流でした。お話しや歌、そして日本からのニュースを自分たちの母語で共有することが、彼らの癒しとなったのです。

100周年記念誌の編集には2年を要し、その間私は、日本における山口県史や南カリフォルニアの山口県人会の歴史といった、多くの伝統を学びまし た。そして毎週開かれていた会議を通し、私たち役員の絆は強くなっていきました。本の編集グループは2世代で構成されており、役員1人ひとりの立派な貢献 によって、素晴らしい本を完成させることができたのです。

今私たちは、三世、四世、そして五世の県人会への参加を促す努力をしています。県人会の変化には困難が伴うかもしれませんが、それを必要なこととし て受け止めなければなりません。県人会は、会に関わる全ての会合や機能において、すべて英語で対応するという方向へ大きな一歩を踏みだすべきなのです。現 在の県人会は、必要に駆られ結成された100年前の県人会とは大きく異なります。しかしながら、過去と未来を結ぶ架け橋になるという重要な役割を今でも 担っているのです。そのためにも、若い世代たちの興味を促さなければなりません。日系人の歴史や知識そして経験を通して、若い世代の人々が自分のルーツを 学べる手段を提供することで、日系人としての誇りや伝統が次世代の子供たちに浸透するのではないでしょうか。そうなって初めて、県人会はより有意義な存在 となり得るのです。長年に渡る県人会とのかかわりを通して、私は将来の県人会あり方に対して責任を感じるようになりました。過去の県人会がそうであったよ うに、若い世代がつながりを持ち、意義のあるものとしての県人会の存在を続けていかなくてはいけないのです。

追伸:50年前のピクニックで、母と私は二人三脚のレースを一番で駆け抜けました。欲しくて仕方がなかったプラスチックのさくらんぼ飾り付きの白い編み バッグを手にした私は、本当にうれしくて喜びを内に秘めることはできませんでした。現在92歳になった母は、競技に出て競うことこそありませんが、今でも 恒例のピクニックに参加しています。南加カリフォルニア山口県人会長に就任するにあたり、役員共々今後もこの恒例行事を盛り上げ、50年前と同じように皆 さんが楽しめる催しとなるよう努める所存です。そして若い世代のみなさんが興味を持つような新しいアクティビティも取り入れていくつもりです。県人会の遺 産が未来へと受け継がれるよう、若い世代のみなさんの参加が今後広がっていくことを期待してやみません。

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ディスカバー・ニッケイ企画イベント
県人会の過去、現在そして未来
地元4つの県人会(鹿児島ヘリテージクラブ、ヒロケン、三重県人会、山口県人会)のメンバーが、レーン・R・ヒラバヤシ教授のモデレーターでパネル討論を 行います。若い世代にとって県人会とは何なのか、そして県人会が今後も存続していくためにはどのような変化が必要なのか、一緒に考えてみませんか?

全米日系人博物館
2009年3月28日(土)
午後2時から4時
プログラム終了後レセプションが行われます。

事前予約が必要です。電話またはEメールにでご予約ください。
電話:213-625-0414(内線2227番)
E-mail:rsvp@janm.org
*メールの表題には「Kenjinkai, March 28」とお書きのうえ、参加希望者全員のお名前をローマ字で明記してください。

詳細はこちら>>クリック

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© 2009 Arlene Nakamura

コミュニティ 家族 県人会 伝統 山口県人会
執筆者について

元小学校教員のアーリーン・ナカムラ氏は、先日南加山口県人会の初代女性会長に就任しました。県人会の活動を通し彼女が目指しているのは、若い世代の人々にルーツを学ぶ機会を提供し、彼らと共に県人会の豊かな歴史や伝統を分かち合うことです。

(2009年3月 更新)

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