大友 八郎

溶接業を営む新一世(1936年生)

ミズーリ州でのビジネス 娘が日本になじめず、再度アメリカ行きを決意 アメリカで直面した偏見

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

1936年8月、宮城県桃生郡小野村(現在の東松島市)で半農半漁をする両親のもとに生まれる。高校卒業後すぐに横浜へ移り住み、配管工になり、主に発電所の建設などにの仕事に携わった。1961年、25歳の時に兄とともに発電所の請負会社「河北産業」を立ち上げ成功するが、兄とのいさかいから会社を辞め独立。1975年、横浜の市長選に出馬するが落選、その後アメリカへ移住を決める。グリーンカードを取得し、ミズーリ州のカンサスシティへ娘二人と妻を連れ家族で移住するが、1年半後に日本へ帰国した。しかし、娘が日本の生活になじめず、その10か月後、再び家族でアメリカへ戻ることを決意。1978年、ロサンゼルスへ家族とともに再び渡米。以来、ロサンゼルス郡モンロビア市に住み、隣接するボールドウィンパークで溶接業(AAM Welding Company)を営んでいる。(2017年10月)

business Kansas City Missouri Shin-Issei welding california family Los Angeles migration

最新情報を入手

最新情報メールの配信登録

Journal feed
Events feed
Comments feed

プロジェクトをサポート

ディスカバー・ニッケイ

ディスカバー・ニッケイは、互いにネットワークを広げ、日系の体験談を分かち合う場です。プロジェクトを継続し、より良いものにしていくためには、皆さまのご協力が不可欠です。ご支援お願いします!

サポートの方法>>

プロジェクト企画 全米日系人博物館

主な援助
日本財団