ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/247/

S.I.・ハヤカワとの関係 (英語)

(英語) ハヤカワ氏はシカゴに行って帰ってきたころからリベラルだと思われるようになりました。実際に彼の奥様は「Berkeley Co-op」の役員メンバーで、2人はやがてマリン郡に支店を開きました。奥様はフランク・ロイド・ライトのご親戚で、彼女の弟さんは後に建築専門学校の「Townsman West」を相続しています。

それはさておいて、ハヤカワ氏と私は両方ともミルバレーに住んでいて、彼はよくお正月のカクテルパーティーに招待してくれました。でもパーティーに来くる人たちはみなアッパーミドルクラスの人だったので、私はほとんどメイドさんと一緒にキッチンにいて、漬物をつまみ食いして過ごしていました。ハヤカワ氏が漬けた日本の漬物です。ストライキの年になると招待状はこなくなり・・・ストライキ期間中コミュニティで互いに討論をするようになりました。でもストで提議されている問題以外は討論をすることがなかったので、私的な憎悪に発展することは決してありませんでした。


政府 政治 サミュエル・イチエ・ハヤカワ 米国上院

日付: 2004年1月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジェームス・ヒラバヤシ氏は、20世紀初期に米国北西部太平洋岸に移住した勤勉な農民の息子として生まれました。1942年、当時高校3年生だったヒラバヤシ氏は、パインデール集合センターに一時的に拘留されましたが、その後北カリフォルニアのツールレイクの収容所へ移送、抑留されました。

第二次世界大戦後、シアトルのワシントン大学で人類学の文学士号(BA)と文学修士号(MA)取得し、その後ハーバード大学で博士号(Ph.D)を取得しました。現在はサンフランシスコ州立大学の名誉教授であり、合衆国で初めて設立された民族研究学部の学部長を務めました。そのほかにも、東京大学やアルバータ大学(カナダ)、アーマド・ベロ大学(ナイジェリアのザリア)での研究・教歴を持っています。

ヒラバヤシ氏は、2012年5月1日、85歳で亡くなりました。(2014年6月)

エヴェリン・ヨシムラ

『Gidra』の背景を理解 (英語)

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日系アメリカ人弁護士・公民権運動アクティビスト(1938-2020年)

ローズ・オチ

公聴会(英語)

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