ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1806/

日本国籍を復活させたい

やはり日本の国籍を持ちたいなと思いますね。それは必要に迫られてブラジル国籍を取ったわけで、それについては何の違和感もないし。これがその日本国籍を取ることによってブラジル国籍がなくなるのであれば、それはもう一度考えるかもしれないけども、仮に私が日本国籍を復活させたとしても、ブラジル国籍なくならないんですね。二重国籍であってもいいじゃないかと。ただ日本の国籍法上は「ブラジル国籍をなくしますね」と聞かれて、「はい」と答えなければいけないけども、実際にはなくならないわけですよ。だから日本国籍を持って死にたいな、なんて思うこともありますね。

それで「あんたは日本に永住するんですか」、「日本に住みたいんですか」と言われると、やっぱり生活の本拠はブラジルにあるし、日本に住所を移して、日本に住んでいることを立証しなくちゃいけないんで。と言うわけで、将来、まだいつの段階でそれをやると決めていませんけど、日本の国籍を私は復活させようという気持ちは、強く今は持ってますね。


ブラジル 市民権 二重国籍 日本 多国籍

日付: 2019年9月19日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1948年長野県に生まれた二宮正人氏は、5歳の時一家でブラジルへ移住。 現在は、サンパウロに法律事務所を構え、サンパウロ大学法学部にて博士教授を務める傍ら、明治大学の学長特任補佐、武蔵野大学法学部客員教授を務める。 1992年の創設時よりCIATE-国外就労者情報援護センターの理事長、日本学術振興会(JSPS) 中南米アドバイザー、国際協力機構 (JICA)の委員なども兼任している。 また、ブラジルニッケイコミュニティリーダーとしても一目置かれており、ブラジル人のデカセギの労働状況の改善や、日系人子弟の教育など、様々な活動をサポートしている。(2021年5月)

レイコ・T・サカタ

養子縁組の物語

(1939年生まれ) 戦時中に家族とともに自発的にユタ州ソルトレイクシティに移住した実業家。

セリア・オオイ

日系ブラジル人イメージに対する日本の影響 (ポルトガル語)

ブラジル日本移民史料館館長

セリア・オオイ

日系ブラジル人アイデンティティの変化 (ポルトガル語)

ブラジル日本移民史料館館長

ヘンリー・須藤

日本での学校生活

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

ヘンリー・須藤

アイデンティティ

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

天野美代子

天野芳太郎の日本でのビジネス

天野博物館館長 (1929年生)

田岡 功

日本の若者に対して感じること

パラグアイ駐日大使(1943年生)

マーガレット・ナルミ

野茂のリスク(英語)

NHKコスモメディアアメリカ プロデューサー

マーガレット・ナルミ

1995年の野茂旋風

NHKコスモメディアアメリカ プロデューサー

ジーン・玻満子・シュナイダー

アメリカへの移住して良かったこと

戦争花嫁(1925年生)

上杉 武夫

ニューヨークで学んだ後、日本に帰国(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

パウロ・イサム・ヒラノ

大泉とブラジルの日系コミュニティとの違い

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

アントニオ・シンキチ・シコタ

日本に住むメリット(ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)

アントニオ・シンキチ・シコタ

大泉町の日系ブラジル人への政府の支援(ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)

アントニオ・シンキチ・シコタ

日本の日系コミュニティの将来(ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)