ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1795/

家の中で日本語を話すことを強要した父

家の中では日本語を話せと。弟や妹はブラジルで生まれたわけだから、弟や妹はどうしてもポルトガル語でしゃべる傾向があったけど、やっぱり父は洋服の仕立て屋だから、四六時中家にいるわけですね。それで、ポルトガル語でしゃべっていると怒られたりですね。日本語で話せと。

だから、最初のころはまぁ抵抗はなかったけれど、思春期になると、そういうのに非常に抵抗を覚えてですね。なんだ、ブラジルへやってきてね、日本語ばっかりしゃべって、っていう。それを今度は子供たちに強制するのはけしからんと思ったりしましたけど。まぁ今はですね、やっぱりそういう風にして日本語を話すことを強制してくれるだけあって、日本語が話せることにはならないわけで、そういう意味では親に感謝してますね。


日本人 言語

日付: 2019年9月19日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1948年長野県に生まれた二宮正人氏は、5歳の時一家でブラジルへ移住。 現在は、サンパウロに法律事務所を構え、サンパウロ大学法学部にて博士教授を務める傍ら、明治大学の学長特任補佐、武蔵野大学法学部客員教授を務める。 1992年の創設時よりCIATE-国外就労者情報援護センターの理事長、日本学術振興会(JSPS) 中南米アドバイザー、国際協力機構 (JICA)の委員なども兼任している。 また、ブラジルニッケイコミュニティリーダーとしても一目置かれており、ブラジル人のデカセギの労働状況の改善や、日系人子弟の教育など、様々な活動をサポートしている。(2021年5月)

ヘンリー・須藤

日本陸軍に入隊させられる (英語)

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

ヘンリー・須藤

昭和天皇・終戦の詔書への反応 (英語)

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

スミコ・コザワ

英語を覚える (英語)

花屋 (1916-2016年)

フランチェスカ・ユカリ・ビラー

両家族への適応(英語)

ユダヤ系日系アメリカ人ジャーナリスト

ジミー・ムラカミ

日本で英語を教える(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

A. ウォーレス・タシマ

人種差別に遭うアジア系アメリカ人弁護士(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

A. ウォーレス・タシマ

「個人の法律事務所には決して就職できなかった」(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

エーシー・コオロギ

野茂が後続の日本選手に与えた影響(英語)

ロサンゼルス・ドジャース元アジア部門部長

キャロウェイ・久松 照美

子どもと日本語

横浜出身の戦争花嫁(1937年生)

パウロ・イサム・ヒラノ

日本語の理解を深めるにつれ、日本社会に受け入れられる

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

パウロ・イサム・ヒラノ

アイデンティティの変化

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

パウロ・イサム・ヒラノ

ニッケイという言葉について

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

パウロ・イサム・ヒラノ

日本人へ帰化することについて

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。