ディスカバー・ニッケイ

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第二次世界大戦中に姉が強制収容で受けたトラウマ(英語)

(英語)かつての私は、今よりずっと何でも受け入れる子供でした。軍の看護師部に進んだ姉のアキコは、収容所のことは全て意識から遮断していました。収容所のことでいくつか知りたいことがあったので姉に聞いてみたのですが、「私は収容所にはいなかった」と言われました。でも私は、「あなたも収容所にいたでしょ。私も一緒だったんだから」などと姉に押し付けることはせず、それ以上追及しませんでした。姉には口答えするものではないと教えられていたことも理由だと思います。それで私は、「ええと、看護師部の学校に通っていたよね」と言いました。姉は学校にどこからか通っていたはずですが、家からではありませんよね。姉が収容所にいたのは分かっているということを伝えるために私はそう言いましたが、姉に反論したわけではありませんでした。


投獄 監禁 姉妹 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2018年11月8日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジューン・バーク

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

タカヨ・フィッシャーは、1932年11月生まれの、舞台、映画、テレビで活躍する日系アメリカ人女優。第二次世界大戦中、子供だったタカヨは家族と共に西海岸を追われ、フレズノ集合センターに収監された後、ジェロームおよびロワーの強制収容所に収容された。その後タカヨはイリノイ州シカゴに住み、10代の頃に『ミス二世クイーン』コンテストで優勝。『マネー・ボール』(2011)、『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』(2007)、『幸せのちから』(2006)、『SAYURI』(2005)など、多くのメジャーなハリウッド作品に出演した経歴を持っている。舞台作品では1958年にニューヨークで『スージー・ウォンの世界』に出演し、ロサンゼルスのイースト・ウエスト・プレイヤーズ*の舞台にも多数出演している。(2018年6月)

*1965年に設立されたアジア系アメリカ人で構成されている劇団

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティでの最初の食事(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

クリスタルシティの雷

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ベン・サコグチ

キャンプから帰ってきて

(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家