ディスカバー・ニッケイ

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渡米の決意(英語)

(英語)当時、東京にはたくさんの米兵がいました。僕は彼らを見て、「あいつら、俺たちを虐げやがって。あいつらめ」と思っていました。それが当時の僕の気持ちでした。英語を勉強したことはありませんでしたが、学校に行けば勉強するチャンスはいくらでもあるだろうと思っていました。でも、僕には勉強する気はありませんでした。

アメリカに行くことなんて考えたこともなかったし、僕らは虐げられていたので、逆にアメリカが大嫌いでした。でも、月日が流れ、ミチコに出会い結婚すると、いかにアメリカの暮らしが日本よりも良いか、彼女はずっと話していました。

同時に、朝鮮戦争もほとんど終わりを迎え、すぐに朝鮮特需への影響が出始めました。私が経営していた印刷業もそうだったように、経済が衰退していきました。僕のビジネスも不調で、収入も減っていたので、考え方を少し変えてみることにしました。アメリカ行きも悪くないかもしれない。ミチコもそう言うことだし、彼女は本当に帰りたがっている。ちょっと考えてみようと思いました。話し合いをしたり、いろんなことを考えました。行くべきか行かざるべきか、相当考えました。そして最終的に、よし、このままの状態ではうまく行かないだろうという結論に達し、それなら環境を変えて、アメリカでの生活がどういうものか体験してみよう。うまくいかなくても日本でやり直すことだってできる。だから挑戦してみようと思いました。

こんな風に渡米を決めましたが、ギャンブルのようなものでした。何もなかったんですよ。つまり、アメリカで何をしようという具体的な考えはなく、行ってみて、さてどうなるか、という感じでした。もし自分に合えば、むこうで頑張ろう。合わなければ戻って来ようと思いました。


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日付: 2012年2月2日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: クリス・コマイ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ハルノリ・オダさんは、北海道で生まれ育ちましたが、第二次世界大戦後、日本を訪れていた日系二世の女性と出会い、結婚し、米国に移り住みました。オダさんはアメリカを嫌悪していましたが、妻のミチコさんに、アメリカの方がより多くの成功の機会があると説得され、そのチャンスにかけてみることにしました。英語力には限界があったものの、オダさんは、園芸業で身を起こすことに成功しました。彼は、この仕事であれば、自分の能力で最大限の成功を手にすることができるだろうと考えたのです。最終的に、オダさんは自らの園芸場の経営を始め、事業を拡大し、その後、オレンジ郡で不動産開発業者として大成しました。オダ氏は、2016年12月14日、91歳で亡くなりました。(2016年12月)

マリオン・ツタカワ・カネモト

戦時中アメリカの爆撃に備えた日本での生活(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

戦時中に参加した日本での兵役訓練(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

先生から聞いた反アメリカプロパガンダ(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

第2次大戦中の日本での苦難(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

ローズ・クツカケ

両親がカナダへ渡航した理由(英語)

第二次大戦中にスロカンに収容。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー (1918-2004)

フレッド・ササキ

フレデリック・ヨシヒデ・ササキの家族構成(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)

ミツオ・イトウ

渡日の決意(英語)

日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)

シズコ・カドグチ

日本の男女別教育(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

シズコ・カドグチ

東へ移住か渡日かの選択(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

田中誠一

渡米(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

エンセン・井上

渡日の理由(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)

ビル・ハシズメ

1954年にカナダへ帰国した理由(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

飯野正子

日本人移民に興味を持ったきっかけ

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

飯野正子

在日日系人と日本社会

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

マイク・シノダ

日本への親近感(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)