ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1154/

日本の若者に対して感じること

自分は、今日本っていう母国でもあり、やはりパラグアイっていう国との間で、感じてることは、やはり今の日本の若い人たちは、今の生活がもう当たり前の時代の感覚になってきてます。この美しい日本と、やはりいい日本の昔の習慣をやはり大事に引き継いで頂くには、今の若い者にはもう少し外国を知られて、そして自分の国をやはり振り返ってみて、いい面もやはり知るべきであり、また外国に行って、勉強されて、外国のいい面を取り入れるというような、若者が、やはりどんどん次の世代として、社会作り、環境をやっぱり変えていくべきでないだろうかなっていう場面が、よく出くわすところが多いと思いますね。

まぁ、社会的には一般のこの東京っていう非常に、昔育った14歳の時代とちがって、冷たいっていうかね、そういうちょっとインパクトだとか、今の若い人たちの見た目で、まぁ何て言う、もう少しこうしゃんと、まぁだらしのないって言ったら失礼なんだけど、ちょっとこう社会の環境っていうものが将来やっぱり自分達の母国っていう思いを、まぁ感じた時がありますね。はい。


コミュニティ アイデンティティ 日本 パラグアイ 若者

日付: 2009年3月24日

場所: 日本、東京都

インタビュアー: アルベルト・松本

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1943年徳山県三好郡生まれ。14歳のときに、パラグアイのラパス移住地へ入植。農業へ従事する傍ら、ラパス農業協同組合組合長、パラグアイ日系農業協同組合中央会会長、パラグアイ国農業協同組合連盟監事および理事などを歴任。87年にはパラグアイ国家功労賞勲三等を叙勲。1992―96年、2002-03年にかけて、ラパス市の市長を務める。2004年、日本生まれの海外移住者で初めて駐日大使として就任し、2009年10月まで務める。(2009年12月)

ミシェル・ヤマシロ

沖縄文化の理解(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

本州の人々の沖縄人に対する偏見(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

共感する米国的な価値観(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミツエ・ヤマダ

詩を通して自分を表現(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

ファン・アルベルト・松本

在日日系コミュニティの変化

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

ファン・アルベルト・松本

エスコバールについて(スペイン語)

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

モニカ・タイシャ―

日系コミュニティ最大のイベント、敬老会(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

モニカ・タイシャ―

ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

ミア・ヤマモト

アジア太平洋諸島法学生協会の共同設立

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

社会正義のために立ち上がる

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

1952年、戦後まもない日本での不自由な生活 (英語)

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

レイコ・T・サカタ

親の結婚

(1939年生まれ) 戦時中に家族とともに自発的にユタ州ソルトレイクシティに移住した実業家。