ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1013/

「しかたがない」意識を超えて (英語)

(英語)私たちが被ったような、露骨で目に余る権利への侵害があった場合、人々は声を上げるべきです。「しかたがない」、という考え方は、もうたくさんです。みんなが声を上げなければならないのです。現在進行中のイラクにおける戦争についても、考えを口に出す少数派がいる一方で、大衆はブッシュ政権の方針にただ従っているように見えるのです。また、様々な民族背景を持つ人々が分別ある考え方をし、少しずつ声を上げるようになってきていますが、それでも多くの人々が、屈従した方がいいと考えているように見受けられるのです。例えそれが極めて困難なことであっても、私たちが政府を相手取り行動に移したように、人々は考えを口に出さなければならないと思います。もちろん私たちの訴えは最終的に認められた訳ですから、私たちは運がよかったと言えるとは思いますが。


公民権 リドレス運動 抵抗

日付: 2006年5月9日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: リサ・イタガキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

フランク・エミ氏は、1916年9月23日、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれました。彼が家族と共に営んできたビジネスは、戦争により廃業に追い込まれ、エミ氏と妻、2人の子供はハートマウンテン強制収容所に送られました。

エミ氏は、多くの人々と共に日系アメリカ人強制収容の合憲性について声高に問いました。また、ハートマウンテン公平委員会の立ち上げに貢献し、徴兵拒否運動を起こし、政府が日系人に対して取った措置に抗議しました。当時、エミ氏には子供がいたため、徴兵対象者ではありませんでした。

公平委員会は、日系人がアメリカ市民権を取り戻し、家族が収容所から解放されれば、喜んで兵役を受け入れると論じました。合衆国政府は、エミ氏と他6名のリーダーを徴兵忌避の共謀罪で訴えました。エミ氏は、18か月投獄され、他86人は裁判を経て徴兵拒否の罪で投獄されました。

戦後、エミ氏や他の徴兵拒否者は、日系人リーダーや退役軍人からつまはじきにされていました。その扱いは、戦後40年経ち、賠償運動が高まり、不正に対して毅然と立ち向かった公平委員会への汚名が晴らされるまで続きました。

フランク・エミ氏は、2010年12月、94歳で亡くなりました。(2010年12月)

上杉 武夫

ニューヨークで学んだ後、日本に帰国(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

トム・ユキ

憲法に守られることを信じていた父(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

カズム・ナガヌマ

彼の妹は家族のために賠償金を確保した

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)