Discover Nikkei

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アメリカと私
過ぎ去って手の届かない所に行ってしまってから、思い出すことは多すぎる。 私は、戦中から戦後も軍需工場だった飛行機会社で働いていた。戦争も末期、飛行機の材料であるジュラルミンが少なくなり、木製機を設計…

Teiko Shimazaki Applebaum • March 6, 2012


在日ブラジル人に感謝の言葉を贈りたい
「日本人として心より感謝の言葉を贈りたい」。この人にひとこと言葉をかけるとしたら、私はこう言うだろう。 神奈川県藤沢市で解体工事などを請け負う会社を経営する茂木真二・ノルベルトさん。3・11東日本…

Susumu Ishihara • Nov. 1, 2011


それはグローバルな旅の結果―ブラジルの栽培作物の変化と日本移民- その4
その3>>3)ハワイ・パパイヤがコショウの生産地を救うパパイヤはコーヒーと並んで、世界一の栽培量(2003年171万5000トン)を誇るブラジルの果物で、世界のパパイヤの約3割をブラジル産が占めてい…

Chiyoko Mita • Oct. 18, 2011


それはグローバルな旅の結果―ブラジルの栽培作物の変化と日本移民- その3
その2>>3.日本移民が変えたブラジルの柿、リンゴ、パパイヤ日本移民は、3起源の作物を改良している。つまり、既存のもの、外来のもの、日本伝来のものである。これらの3起源の栽培植物は時間的にも空間的に…

Chiyoko Mita • Oct. 11, 2011


それはグローバルな旅の結果―ブラジルの栽培作物の変化と日本移民- その2
その1>>2.ブラジルの食生活と外国移民独立以前のブラジルの栽培作物は20種ほど数えられ、果物は比較的多様であったのに対し、野菜は極端に少なかった。こうした食生活に変化をもたらしたのが外国移民であっ…

Chiyoko Mita • Oct. 4, 2011


それはグローバルな旅の結果―ブラジルの栽培作物の変化と日本移民- その1
はじめに人類による植物栽培の歴史は、常にヒトの移動と生活文化の変容の記録ともいえる。新しい栽培植物は新しい地の住民に新たな食文化をもたらす。栽培植物の伝播には時間的にも空間的にも大きな広がりがみられ…

Chiyoko Mita • Sept. 27, 2011


リベラルタのニッポン人 (3) -義元 徳憲-
73歳。沖縄県出身。 1961年リベラルタに入る。当時23歳。日本から船に乗りブラジルへ。そこから汽車でボリビアサンタクルスへ。ちょうどボリビア独立記念日と重なり、2週間サンタクルスに滞在の後リベラ…

Shoko Hibino • Dec. 29, 2010


リベラルタのニッポン人 (2) -義元 富子-
70歳。沖縄県出身。1961年、叔母の呼び寄せによりリベラルタに入る。(叔母の夫はペルー下り。この時、既に他界しており、叔母は一人でリベラルタに居た。)父、母、兄、本人の4人。当時20歳。 飛行機…

Shoko Hibino • Dec. 22, 2010


リベラルタのニッポン人 (1) -近野 房江-
ボリビアのリベラルタ移民について調べるにつれ、リベラルタにかけられた希望やそれを叶える為の途方もない苦労が、涙ながらにお話を聞かせて下さった一世の方々からも窺えました。上手く文章に出来なかったのがも…

Shoko Hibino • Dec. 15, 2010


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