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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~

第2回「百年史」はだれが書いたか

いまや世界中いたるとことろで日本人が暮らしていることを私たちは知っている。それでもテレビ番組などで、こうした移民や移住者のことを見聞きするにつけ「どうしてこんなところに日本人が」、「なぜこの人はそこにいるのだろう」という素朴な疑問と驚きを覚えることがある。

私の場合、かつてアメリカのフロリダにあった日本人のコロニー(村)と、そこに集まった人たちについて知ったときが、そうした最初の例だった。1990年代のことである。カリフォルニアなど太平洋岸には日本人が移民し、多くの日系人がいることは誰もが知るところだが、アメリカでは日本からもっとも離れた大西洋岸の南端のフロリダ州に、明治時代に入植した日本人がいたことは意外というしかなかった。

さらに、コロニーは戦前に解体して、入植者のほとんどが現地を離れるか、日本に帰ってしまうが、最後まで残ったひとりの男が、買い集めた土地を地元に寄付し、それがもとになって南フロリダに立派な日本庭園と博物館ができたという事実には、その裏にいろいろドラマがあったのではないか、とあれこれ想像をかきたてられた。

私は1986年から87年にかけて1年間、フロリダ中部大西洋岸の街デイトナビーチに本社のあるデイトナビーチ・ニュースジャーナルというローカル紙で研修のようなことをさせてもらった。このときは、大和コロニーのことなど知らなかったし、知ろうとも思わなかった。

日本とはおよそ縁のなさそうな地としてフロリダを希望し、草の根のアメリカを体験することを希望していたので日本的なものには関心のアンテナを張ることはなかった。しかし、何年かして再びフロリダを訪れたとき「大和コロニー(Yamato Colony)」という名のそのコロニーの存在と、土地を寄付した森上助次という人物のことを知り、興味をもって調べ始めた。


和歌山県のアメリカ村で

「どうしてこんなところに日本人が?」という素朴な疑問からである。と同時に今思えば、このころ日系の移民について興味を抱くきっかけがあった。その一つは、和歌山県の美浜町という海沿いのまちを取材のために訪れたときの経験だった。

この町の三尾地区は「アメリカ村」と呼ばれていた。かつて三尾からは多くの人がカナダへ移民し、漁協などで成功した人が日本に戻り西洋風の家を建てたことで、アメリカ的なのでそう呼ばれたようだった。現地で初めてそのことを知ったのだが、町での取材中に偶然カナダから自分たちの故郷である美浜町を訪ねてきた日系アメリカ人家族と出会い、ファミリーヒストリーを聞かせてもらった。それは時間と空間を超えたダイナミックな物語のように聞こえた。

フロリダの話に戻れば、土地を寄付した日本人の名前を冠して「Morikami Museum & Japanese Gardens」として現地に名を残した森上助次は、日本三景の一つ、天橋立で有名な京都・宮津市の出身だった。そこで宮津市の広報に森上について問い合わせたところ、担当者がていねいにいくつか資料を送ってくれた。その中の一つに、森上助次について詳しく書かれた本か印刷物のコピーが2、3枚あった。

言葉遣いが古めかしく、旧漢字がときどき使われていることなどから、かなり前のものだと推察できたが、フロリダ州について、また森上助次をはじめフロリダに住む日本人について、多くの人名とともに具体的にそして詳しく書かれている。いったいこの原本はなんなのかと思い調べたところ、「米國日系人百年史〜在米日系人発展人士録」(新日米新聞社、1961年発行)とわかった。


1431ページの本

『米國日系人百年史』より

私は神奈川県に在住しているので、経験上この種の本を所蔵していると思われる横浜中央図書館にあたったところ見つけることができた。1431ページにものぼる広辞苑のような本で、2段組で1段25行、1行37字と文字がぎっしり詰まっている。日米修好百年記念として出版されたとあり、1960年にアメリカを訪問した天皇、皇后両陛下の写真をはじめ記念行事などをとらえた白黒写真のページや、当時の池田勇人首相をはじめ在ワシントン日本大使などによる序文が載っている。

本編は、「第一篇米国日系人百年史 総篇」が全体の四分の一弱を占め、そのあとは「第二篇各州日系人発展史 地方篇 併録=在米日系人発展人士録」として、各州ごとに日本人・日系人の足跡、活動が書かれている。そのおよそ半分は、カリフォルニア州について割かれているが、小さな州にまでわたって、こと細かく日本人の足跡が記されていたのには驚きだった。

これはぜひ1冊手元に置いておきたいと思い、ネットで古本を探したところ、日本ではかなり高価だったので買い控えたが、サンフランシスコの「Bolerium Books」という古書店のサイトで手ごろな価格のものを見つけ購入することができた。

各州ごとの内容については2014年〜15年にディスカバーニッケイに連載した「米國日系人百年史を読み直す」に詳しく記したので重複となるが、たとえばフロリダについては以下のような説明がある。

「一八九六年フロリダ・イーストコースト鉄道が、ジャクソンビルからマイアミに貫通して以後に日本人が移住したのであった。(中略)同鉄道会社がマイアミ北方四十哩のボカランド(ママ)とデルレービーチの中間にある会社の土地二セクション(一二六〇英加)の一部にパインアップルを植付けたが、安いキューバ産に競争できず、太平洋岸で野菜つくりが上手な日本人を入れ冬季野菜をつくらせたらと、その土地を日本人に提供する旨を発表した。

それを紐育留学中に聞知った九州豊前中津藩主の弟奥平昌国と酒井襄(京都宮津出身)が前後し何れも入込んだ。一九〇四年のことで、これがフロリダ州に日本人が足跡を印した最初であった。」

このように各州ともにそこに最初に入った日本人についてなど、わかりえる範囲で全米での日本人の足跡が1960年ごろまでにわたり書かれている。また、個人に焦点をあてて人物伝を大なり小なりまとめたり、争いや事件、事故といったスキャンダルも含めて日本人社会にまつわるさまざまなエピソードも紹介したりしている。

写真もところどころに挿入されている。学術書のように参考文献をあげて述べているわけでもなく、それほど多くない事実をもとに論を組み立てるような書でもなく、ひたすら取材して“足で書いた”と思わせるほど具体的な事実と情報がつまっていた。

本書の奥付を見ると、発行は1961年12月25日で、版元はロサンゼルスにある新日米出版社。発行者は、同社社長の城戸三郎、そして編者として同社主幹、加藤新一の名が最初にでている。

数限りない、アメリカにわたった日本人の世代を超えての物語としても読める本書にひかれた私は、まずこの本がいったいどうやってできたのか知りたくなった。それを知る手掛かりを、本書のあとがきで加藤が語っているが、これがまた驚きだった。どうやら加藤ひとりが全米を奔走し取材してまとめたようなのである。

(敬称略)

第3回 >>

 

© 2020 Ryusuke Kawai

hyakunenshi japanese americans Shin-Issei Shinichi Kato the United States

About this series

1960年前後全米を自動車で駆けめぐり、日本人移民一世の足跡を訪ね「米國日系人百年史~発展人士録」にまとめた加藤新一。広島出身でカリフォルニアへ渡り、太平洋戦争前後は日米で記者となった。自身は原爆の難を逃れながらも弟と妹を失い、晩年は平和運動に邁進。日米をまたにかけたその精力的な人生行路を追ってみる。