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イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト II

ホテルの男

その地区一帯は歴史保護地域に指定されていて、古い建物を勝手に倒したり、大きく改築したりできないことになっている。ホテルに続き小さな商店やレストランが並び、その終わりの壁には、歴史建造物指定のエッチングの表示があった。

一街の通りは、三階建て四階建てのビルディングが隙間なくびっしりと並んでいる。建物と建物の間は隙間がほとんどない。一階には食堂や土産物屋、雑貨店、宝石店が並んでいて、二階以上をホテルや下宿屋がしめている。全てが100年以上の建物だ。

やす子が何度も泊まるホテルは、入り口のガラスのドアを開けると、幅の狭い階段だけがあった。二階以上が客室だった。エレベーターがないから、その狭い急な階段をスーツケースを引きずりあげるのに、喘いだものだが、二回目からは下から声をかけると若いフロントの手伝いが飛んできてくれた。「あ、きたきた。ほいほい」とか言いながら、荷物を軽々とかつぎあげてくれた。その青年が辞めてからは、ホテルの持ち主である80才の中国人のおばちゃんとやす子の二人で、よちよちと持ち上げたこともあったが、おばちゃんはなじみ客だけに部屋を貸しているということもあり、気安く泊り客を荷物運びに使うこともあった。

ホテルの廊下は狭く暗かった。何度も塗り替えた壁は、何重にもペンキが塗り重って、凹みがあちこち露わになっている。なじみの客しか取らないから、いつもがら空きで静かだった。部屋代は40ドルと格安だが、本当にベッドと衣装ダンス、イスとテーブルだけ。飾り物は一切なく、便所とシャワーは共同だった。相客たちのほとんどが、若い学生か、安い賃金の仕事をもっているか、探している人達だった。たまに新婚の夫婦が短期間泊まっていった。白人の大きなバックパックを背負った男が、「部屋は開いていないよ」とおばちゃんに断られて、狭い階段をおりて明るい道へでていったのを見たこともあった。

暗い廊下の角をひょっと曲がったとき、やす子は歩いてきた無表情な男とすれちがった。その異様な男に、やす子は思わず息を呑んだ。男はこれ以上痩せられないほど痩せていて、長く伸ばした髪の毛は腰に届いていた。最近ブランケ担ぎのことばかり考えていたので、これもブランケ担ぎの生き残りだろうかと思った。古い安ホテル、薄汚い男たち。これはまったくもう時計を70年も巻き戻したかのようだった。

男の汚れたTシャツには、洗っても洗っても取れない汚れが染みついていて、洗うたびに露わになる繊維がかろうじて肌を覆っている。しかし、ブランケ担ぎの生き残りの訳がない。第一若すぎる。若いといってもその男の正確な年齢は分からない。男は、あらゆる階級や生きざまを表に出すのを拒んでいて、というより何も語らない曖昧な存在に徹していた。男の奇妙さが気になったが、やす子は人見知りするたちだから、べらべらしゃべりかけることもできなかった。しかし、共同のキッチンで何度目かに会ったとき、「まあ、久しぶりですね。お元気ですか」と、自然に口からでた。それに対して、「あ、はあ、まあ、元気です」と返事が返ってきたときは、びっくりした。どう見ても知能の足りない、あるいは普通でない人間からの反応であった。その声も特徴があって、空気が漏れるような、ため込んだ空気の中で長いこと撹拌されなかった濃い内容がちらっと漏れた感じがした。

何度もこのホテルを利用するようになって、おばちゃんからホテルに関していろいろな助言を求められるようになった。2、3の泊り客の愚痴やら悪口やら噂話もついでに入ってくるようになった。それでもそのウラワという男のことを知ったのはずっと後だったし、ほんの片鱗でしかなかった。

ウラワには裕福な両親が神戸にいて、日本へ帰って来いといっている。おばちゃんもそれをウラワに勧めているが、相手は聞き流している。また彼があんなに痩せているのは食べ物が足りないせいで、一日一回トマトのサンドイッチを食べるだけだという。いくら勧めてもそれ以外のものを食べない。そういえばマヨネーズをぬったトーストにトマトとレタスを挟んだサンドイッチをキッチンの隅で作っているのを見かけることがある。

やす子が初めてブランケ担ぎと呼ばれる日本人の季節農地労働者を知ったのは、ウイリアム・サローヤンの短編小説の中だった。過去の傷に始終さいなまされている日本人の男が安らぐ場所も見つけられずに、自己嫌悪と怒りに唾をとばして叫びながら、中西部を彷徨っている話だ。夜中に必ずうなされて、バカヤローと叫ぶが、雇い主は日本語が分からないから、長いことその意味がわからなかった。それが人の名前だと思ったこともあるそうだ。

やす子はそれからブランケ担ぎのことをずいぶんと調べてみた。古い日系人の関わった文芸雑誌や記録を集めてみた。当たり前の話だが、日系人の歴史は常に成功者が多くのページを占めていた。農業で、様々な商売で、新聞出版で、外交で、慈善団体で成功を収めた男たちが、ハイカラーのシャツとネクタイと背広を身につけ、独特のポーズをとってページを埋めていた。土と埃にまみれ、太陽の照りつける南カリフォルニアで、曲がった腰が伸びない姿勢を取り続けた無口な男たちの姿はどこにもない。  

こんな暗い古いホテルにだけ、畑の汚れをこびりつかせ、太陽に焙られた肌の男たちがいたのだ。次の収穫までのわずかな休息をむさぼるために、こんな安ホテルの廊下を歩き、隣のチャップスイ・レストランで腹がはち切れるほど中華メシをむさぼり食った。それはシューメーカーという人文学者が調査した記録だった。

エンジェル・シューメーカーは、ダスト・ボール時代の季節労働者の実態を把握するため、自ら季節労働者と行動を共にした。そして、ダスト・ボールの被害にあった家族が、南部から大陸を横断して、カリフォルニアの農園に仕事を探していく記録を集めた。その話は同じように季節労働者と行動を共にしたスタインベックによる小説「怒りの葡萄」でもとりあげられているが、シューメーカーは付随して、日本人のブランケ担ぎのことを一章に付け加えていた。

ブランケット一枚に身の回り品一切を包んで肩に担ぎ、収穫を追って旅をしていく日本人季節労働者の乏しい記録が、やす子には興味深かった。オリーブ色の軍隊支給の目の詰まった毛布が地面に置かれ、これも軍隊支給のだぶだぶのコートの腰を縄で縛った男が――間違いなく日本人の男が――出発前のひと時慌ただしく持ち物を広げたてて、荷物に目を通している。荷物の中に多喜二の「蟹工船」や「共産党宣言」が混じっていたことになっている。ずいぶん長いこと持ち歩いたこれらの本と、悪夢に悲鳴をあげている男とどんな関係があったのだろうか。

旅を続ける男たちは、たぶん連絡を取り合うことはなかったのだろう。それでも顔なじみができて、会えば目の端で時にお互いに短かく確認して、目をそらしたのだろう。こんなホテルの廊下で、キッチンで。それから慌ただしく迎えに来たバスに乗って出ていくのだ。

その中の一人に、中村伊三郎という青嵐という号をも持った俳人も、混じっていたのだろうか。

最晩年になったシューメーカーは、収集して仕舞い込んでいた茶封筒いっぱいの書簡や切り抜きから、一冊の本を書くつもりだったようだ。書簡は、旅の途中で行き倒れになって、ジェネラル・ホスピタル、つまりは医療費も払えない貧しい病人を収容する郡の施設に入って死んだ中村伊三郎が残していったものも入っていた。それらを読みこなして、後で編集する予定だったらしい。やす子は紹介されて、その未完に終わった本の俳句の翻訳を助けるはずだった。

体が二つに折れそうなほど曲がって、車椅子の上から人をすくうように見上げる老女は、まだ記憶力も確かだった。膝の上に積んである古い紙の束からは、いろんな色のタブが突き出していて、きちんと整理されていた。すぐにでもそれらの紙の束をやす子の膝の上に移して読ませてくれるのかと思ったらそうではなくて、震える手でその中の一枚を引き出すと、「これはね」といってやす子に渡した。それは手紙からとったらしい一枚のコピーだった。

学者は口早に青嵐のことを話し出した。中村伊三郎の父親が先にアメリカに来ていて、息子が15才くらいの時に呼び寄せたらしい。戦前の話だ。「どうもね」と、シューメーカーさんは骨ばった手を拳骨にして書類の束をこつこつと叩きながら、「密航でもしてきたらしいんですよ、この父親は。」

「ああ」とやす子は驚きもしないで答えた。「よくあったらしいですよ、そのころは。」

「そうです、そうです。」

父親と一緒にいた時期は短くて、それからカリフォルニアのあちらこちらの農園や農産物の加工場を渡り歩いて、決して定住することはなかった。書簡は友人や知り合いから伊三郎へしたためられたもので、伊三郎が長く持ち歩いていたものらしい。その宛先の住所から、彼の放浪の軌跡がうかがえるということだ。その住所は中部カリフォルニアのおびだたしい農業地帯に及んでいた。伊三郎の出した手紙が何らかの形で戻ってきたか、回収したかしたのだろうか。シューメーカーの膝の上あった手紙の束はかなりのものだった。

やす子は手をのばして、その紙の束を老女の膝から奪い取りたい思いと闘った。やっと一枚、お情けのように突き出された。

「この手紙の最後に短いポエムがありますね。読めますか。」

たぶん古い古い色変わりした手紙からコピーしたものだろう。字も拡大され、濃く修正され、そのためにもっと読みにくくなっている。やす子はせかせかと目を通した。下手な不揃いな鉛筆の文字だが、不思議にすらすらと読めた。自由律の俳句だ。

以前やす子は、今は倒産した新聞社から出ていた日系新聞のマイクロフィルムを読みに州の古文書館に通ったことがあった。1920年代ころ、その新聞は文芸欄を一週間に一度読者に提供していた。俳句、短歌、川柳、詩、小説、評論など結構盛りだくさんな内容で、アメリカ在住の俳人下山逸蒼を研究していた大学時代の友人のためにその作品を収集したことがあった。逸蒼は自由律俳句のチャンピオンで、当時の文芸欄には必ず毎週多くの作品を発表していた。その時コピーした逸蒼の作品などは、みんなその友人に送ってしまったが、その文芸欄に中村伊三郎、あるいは中村青嵐の名前がどこかにあったろうか。やす子は目をそっと瞑って、思い出そうとする。

シューメーカーは黙ってしまった目の前の、神に祈っているような女の顔を一瞬見つめた。このもう70年も前に死んでしまったこの男は、なんだって日本語を使ってこんな狭い世界に閉じこもって、詩などを書いたのか。なぜ黙って働いて、黙って食って、黙って寝て羽虫のような一生を送れなかったのだろうか。なぜ熾火のように残っている微かな火を掘り起こして、灰を搔きたてて贅沢な無駄を、残していかなければならなかったのか。シューメーカーはいつまでも目をつぶっている女にいらだった。

中村伊三郎一人が奇妙に目の前をゆらゆらと動いていた。それから、ホテルには過去の亡霊たちが集まってきて、やす子の身の回りで、生々しく身動きしだした。共同のシャワーや便所を使うと、カーテンの隙間から覗いている目があった。狭いトイレの空間にいつも身じろぎをして、息を止めている存在がぎっしり詰まっていた。

その時、ホテルの下の道から突然奇声が聞こえてきた。大声で怒鳴っているのだが、何を言っているのかさっぱり分からない。長々と選挙演説でもしているようだ。三階の部屋の窓から一街の通りを見下ろすと、まだ若い黒人の男が自転車に乗って、道幅いっぱいにジグザグに漕ぎながら右手を振り上げ、左手に変えて振り上げ、怒鳴っていた。交通の激しい通りに車が次々に止まる。下のロビーまで下りて、「なんですかあれ」と丁度コーヒーを飲んでいたおばちゃんに聞くと、両手を広げて肩をすくめて読んでいる中国新聞から顔もあげない。

「毎日ね、毎日。」

「警察呼ばなくてもいいの。」

「ホワット・フォー?」おばちゃんは平然と新聞をめくった。

「危なくないの?あの人怪我するよ。」

「アー、もう何年もああやってるね。死んでない。」

怒鳴りあげる合間に、ウ、ウ、ウヒーと叫ぶ。「何ていってるの、おばちゃん分かる。」

「ノー、アイデア。」政府のバカ、市長のばか、レディース・アンド・ジェントルメン。聞けよ。おばちゃんはつぶやいた。え、嘘でしょう。そんなふうには全然聞こえない。

 

*このストーリーは、リトル東京歴史協会による第2回ショートストーリー・コンテストでの日本語部門最終選考作品の一つです。

 

© 2015 Michie Wakabayashi

buranke katsugi fiction little tokyo short story

About this series

リトル東京歴史協会は、今回が第2回目となる年に1度のショートストーリー・コンテスト(フィクション)を開催し、2015年4月22日、リトル東京のレセプション会場で最優秀賞と最終選考作品を発表しました。昨年度は英語作品のみを対象としましたが、今年は新たに日本語部門と青少年部門を設け、各部門の受賞者に賞金を授与しました。唯一の応募条件は、(英語は2,500単語、日本語は5,000字以内という条件の他)クリエイティブな手法で物語の中にリトル東京を登場させることでした。

  • 日本語部門 最優秀賞:  「Mitate Club」 佐藤 美友紀(北海道室蘭市)
  • 英語部門 最優秀賞: “Fish Market in Little Tokyo” ナサニエル・J・キャンプベル(アイオワ州フェアフィールド)[英語のみ]
  • 青少年部門 最優秀賞: “Kazuo Alone” リンダ・トッホ(カリフォルニア州コロナ)[英語のみ]

Some of the Finalists to be featured are:

紹介された最終選考作品:

日本語部門

英語部門(英語のみ)

青少年部門(英語のみ)

  • Midori's Magic” サレナ・クーン(カリフォルニア州ロス・アラミトス) 

 


** その他のイマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテストもご覧ください:

第1回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト (英語のみ)>>
第3回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト>>