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長島 幸和

(ながしま・ゆきかず)


千葉市生まれ。早稲田大学卒。1979年渡米。加州毎日新聞を経て84年に羅府新報社入社、日本語編集部に勤務し、91年から日本語部編集長。2007年8月、同社退職。同年9月、在ロサンゼルス日本国総領事表彰受賞。米国に住む日本人・日系人を紹介する「点描・日系人現代史」を「TVファン」に連載した。現在リトル東京を紹介する英語のタウン誌「J-Town Guide Little Tokyo」の編集担当。

(2014年6月 更新)


この執筆者によるストーリー

「民謡フュージョン」-小杉真リサさん-

2010年6月10日 • 長島 幸和

その日、コンサート会場であるサンペドロの劇場に向けて車を走らせながら、一体どのようなショーが私を待ち受けているか、一抹の不安と期待が私の心の中に入り交じっていました。「民謡ステーション」という小杉真リサさん率いるグループによる「フュージョン民謡」です。DVDで一度、そのさわりを見たことはありましたが、ライブのコンサートは初めて。正直なところ、民謡のフュージョンはちょっと難しいのでは、と感じていたのは確かでした。 真リサさんは、日本民謡「松豊会」の会主である母親の佐藤松…

南加小児園の訴え -山崎ミッツ満さん-

2010年5月27日 • 長島 幸和

日系の児童擁護施設「南加小児園」が、来年で創立されてから95年になります。その5年後には100年を迎えることから、これを機に小児園の歴史をきちんと保存しておこうという動きがいくつか進んでいます。この施設で8歳から18歳までの10年間を過ごした日系二世の山崎ミッツ満さん(84)=ガーデナ市=の親戚筋がこのほど作ったDVDも、そうした動きの一つと言えるかもしれません。 小児園は日本人移民の初期の1914年に設立され、主に生活難に直面した家庭の子どもたちを預かっていました。…

「ポストン・ソナタ」の訴え -グレン・ホリウチさん-

2010年5月13日 • 長島 幸和

日系四世のジャズ・ミュージシャン、グレン・ホリウチさんのアルバムを、このところ何度も立て続けに聴いていました。先月、ホリウチさんと演奏活動を共にしていたリリアン・ナカノさんについて書いたのがきっかけです。 聴いていたのは「ネックスト・ステップ」「イッセイ・スピリット」「マンザナ・ボイシィズ」「ポストン・ソナタ」「オックスナード・ビート」「ライブ・イン・ベルリン」「ケンゾーズ・ビジョン」「コーリング・イズ・イット・アンド・ナウ」「ヒルトップ・ビュー」「マーシー」「パチンコ・…

戦時補償と三味線と -リリアン・ナカノさん-

2010年4月28日 • 長島 幸和

音楽である種の心情を伝えようとする時、アバンギャルドが最もふさわしい形態ではないかと思われることがあります。例えば、第二次大戦中の日系人強制収容にまつわる心情。ジャズ曲「ポストン・ソナタ」です。 まず、ピアノが深い記憶の底に舞い降りていきます。痛みと悲しみと怒りが混在する記憶。次第にその音は激しく打ち震え、時に低音を叩き付けます。それに呼応し、やはり怒りをぶつけるように吹きならすテナーサックス。続いて、三味線の懐かしい調べが流れてきました。それに、祭笛を思わせるようなフルー…

日本文化にかかわり続ける -前野ジョン久仁男さん-

2010年4月12日 • 長島 幸和

初めてこの人と会ったのは、二世週日本祭に向けての準備の時でした。祭りの最大のイベントの一つに、小東京一帯の道路を閉鎖して繰り広げられるグランド・パレードがありますが、それに登場する音頭の一般参加者を対象とした稽古の時です。私も彼も、その年の振り付けを担当した日本舞踊の師匠による稽古に参加していたのですが、年配の参加者が多い中で、彼の若さが一際光っていました。しかも、飾り気のまったくない話しっぷり。日本人とは日本語で、日系人とは英語で冗談を言い合っています。 その後ほとんど毎…

日系アルゼンチン人の会 -ゲートボールで活気・世界的な視野で活動展開-

2010年3月24日 • 長島 幸和

南カリフォルニアで活動を展開している南米の日系人らの組織として、ペルーの他に、アルゼンチンの日系人らのグループがある。母の日や父の日、あるいは米国の独立記念日などにアルゼンチン版のバーベキュー(BBQ)である「アサド」をしたり、北米沖縄県人会の運動会の国別対抗競技に出場するなどして、親睦を深めるとともに、仕事の面で助け合ってきた。アルゼンチンは「ガウチョ(牧場労働者)」で知られる国で肉料理には定評があるだけに、「アサド」にはいつも大勢集まったものだった。 しかし近年、メンバ…

俳句の「真実」を生きて-一恵クリストフォロさん-

2010年3月8日 • 長島 幸和

移民が米国で生きていくとき、祖国から携えてきた文化が大きな心の支えとなることが往々にしてあります。第二次大戦中に強制収容された日本人の中に俳句を始めた人が少なくなかったのですが、それは、強制収容という状況を乗り切るための力を、俳句に求めたためでした。その傾向は戦後もしばらく続きました。 しかし、日系人の場合は状況が多少異なっていたようです。その多くは戦後、どちらかと言うと、日本文化から身を遠ざけるように生きてきたのです。それは「適性外人」ではないことの証明のためだった…

ポスト「ペルー二世協会」 - 地域ごとに組織化の試み: 望まれるリーダーの再現-

2010年2月10日 • 長島 幸和

ロサンゼルス地区に住む日系ペルー人らで組織していたグループ「ペルー二世協会」が1990年代半ばに自然解散状態となってから、すでに15年近く。いまだにそれに代わる新たな組織はできていないが、イベントを通じてグループを作ろうという動きはいくつか進んでいる。(*「ペルー二世協会」の創設から自然解散状態については、『「ペルー二世協会」 - ナカダさんの新たな挑戦: 戦後渡米者らの本国帰還も』 をご参照ください。) 同協会の自然解散の理由の一つが、会員らがどんどん郊外に移り住むように…

ロサンゼルス「七夕祭り」 その3: 新たな伝統を目指す─ 七夕飾りの「お焚き上げ」─

2009年12月21日 • 長島 幸和

ロサンゼルス日系社会における2009年の出来事の中で、特に注目を集めたものの一つに、七夕の行事がある。第1回ロサンゼルス七夕祭りとして、二世週日本祭の期間中に、二世週日本祭実行委員会、リトル東京防犯協会、そして南加県人会協議会の3団体が共催し、当初の計画を上回る250個の七夕飾りがさまざまな団体や家族によって作られて、小東京を訪れる人々の目を奪った。祭りの後は、多くの参加団体が自分たちで作った飾りを引き取って、それぞれの関連施設で飾るなどしているが、唯一、全米日系人博物館は…

ピアニストの「笑い」 -平田真希子さん-

2009年12月4日 • 長島 幸和

仕事柄、これまでに多くの方々と話をさせていただく機会に恵まれてきました。文字通り、老若男女、さまざまな職業や経歴、さまざまな人種や国籍、そして、さまざまな性格と、実に多様です。その中で、今回話をすることができたピアニストの平田真希子さんほど話していて楽しい人は、そう多くはいませんでした。とにかく、よく笑うのです。それもとって付けた笑いではなく、ごく自然に、しかも何の屈託もない笑い。私も話をしながら、何度も笑いを誘われました。米国に生きる外国人として、ピアノに自分を託し続けて…

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