ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/article/

第5回 ピニェイロス地区-斜陽の日本人街-
サンパウロ市とその周辺には、「日本人街」と言われたいくつかのエリアがあった。戦前から戦中にかけて、いわゆる「コンデ界隈」と呼ばれたエリアが日本人 街としてはもっとも大きかったが、ついで日系人口が集中…

根川 幸男 • 2007年6月7日


書評 『南北アメリカの日系文化』山本岩夫・ウェルズ恵子・赤木恵子 編(人文書院)2007
本書は、日系人を、国と地域別にカナダ・合衆国本土・ハワイ・南米各国の四つに分け、その文化を紹介し論じる試みである。従来の日本人による日系人 研究に弱点があるとすれば、それは、歴史研究や社会変動、アイ…

神田 稔 • 2007年6月1日


第4回(番外編)イグアス移住地-日本文化と匠の里-
今年2007年の1月から2月にかけて、パラナ州北部とパラグアイを旅した。この連載の主旨は、ブラジルの日本人街の歴史と現在の姿を伝えることだが、今回は番外編として、筆者が訪れたパラグアイの日系移住地イ…

根川 幸男 • 2007年5月17日


サンパウロ州の牧草地の広さとその理由
その気になればすぐに海岸線まで出られる土地に長く住んできたので、サンパウロ州内陸部の、海まで600キロはあろうかという町で暮らすことが、自 分の気持ちにいったいどんな影響を及ぼすものだろうという興味…

中村 茂生 • 2007年5月4日


第3回 コンデ界隈-ブラジル最初の日本人街(3)-戦争の嵐と戦後の混乱、そして復活へ
ブラジル最初の日系教育機関である大正小学校がサン・ジョアキン通りに移った後も、コンデ界隈の日本人街は発展し続けた。1930年代後半から1940年ごろまでが、その全盛期であったといわれる。 このころ…

根川 幸男 • 2007年4月27日



大宅壮一の「名言」をめぐって
大宅壮一というジャーナリストがいた。昭和を代表するジャーナリストのひとりと言ってよいと思うが、政治から社会風俗まで広範な仕事に携わってい て、耳にした人の多くが、なるほどうまいこと言う、と唸るような…

中村 茂生 • 2007年3月29日


第1回 コンデ界隈-ブラジル最初の日本人街(1)-そのはじまり
サンパウロは坂の街である。セントロと呼ばれるダウンタウンを歩き回ってみると、その坂の多さに辟易する。なぜこんな坂の多いところに街をつくったのかと、思わずつぶやきたくなる。 ジョゼ・デ・アンシェタ神…

根川 幸男 • 2007年3月17日


はじめに
サンパウロ東洋街-その混沌の中に身を沈めているとき、めまいとともに何度も同じ疑問が頭をもたげたことがある。「なぜ日本人は海を渡り、地球の反対側のこんなところにまで自分たちの街をつくったのだろう?」 …

根川 幸男 • 2007年3月16日


カデイアと日本人移民
第二次世界大戦中北米の日本人移民が、収容所生活を強いられたことは広く知られている。移民先国と祖国が敵同士となったのはブラジル日本人移民も同 じだ。ブラジルには収容所こそなかったが、やはり敵国人として…

中村 茂生 • 2007年3月1日


ニッケイのストーリーを募集しています! 世界に広がるニッケイ人のストーリーを集めたこのジャーナルへ、コラムやエッセイ、フィクション、詩など投稿してください。 詳細はこちら
サイトのリニューアル ディスカバー・ニッケイウェブサイトがリニューアルされます。近日公開予定の新しい機能などリニューアルに関する最新情報をご覧ください。 詳細はこちら