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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第25回 80歳、したいことは山ほどある 

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。1966年、フロリダはハリケーン・アルマに襲われ農作物に大きな被害が出る。助次はこの年の秋に在米60年で80歳を迎える。1966年は最悪の年だったというが、まだしたいことは山ほどあるともいう。

* * * * *

1966年6月9日

ハリケーン・アルマの進路状況(出典: Florida Center for Instructional Technology, National Oceanic and Atmospheric Administration [NOAA] [Tampa, FL: University of South Florida, 2009]. 地図提供: Florida Center for Instructional Technology. [Map #12325] )

美さん(義妹)、ここ三週間、夏日が連続、降雨の為、例の関節炎に苦しんでいる。雨と寒さが何よりの禁物。目下、今年最初の台風アルマが当半島西海岸に沿って北進中。時速110哩(マイル)。東海岸作物の被害甚大の見込み。

故郷からの便りは来ない。


1966年7月25日

美さん、早速の返事ありがとう。(実家の)土地の事、これで漸く事実が解ったように思われる。それにしても○○の無責任さにはあきれる。借金の事も初めて解った。今後もある事、こういう事は初めからはっきり話して頂きたい。

二ヵ月で降雨も漸く止んだが、カンカン照りつける暑さだ。年のせいか、それとも気分が続かぬ為か、畑に出ない日が少なくない。それでも夜だけは涼しい。北部、特に西部地方などは100度(約38℃)以上の日が多い。さようなら。

追伸 

在米60年。故郷はダンダン遠ざかって行く。妹が亡くなってから、故郷の便りは絶えた。天涯孤独とはいえ、幸い親しい友達も少なくない。あんたには何の興味もない事、書くのを止めた。


〈苦しくとも計画の完成するまでは〉

1966年9月15日

美さん、お手紙ありがとう。皆さん丈夫で何よりです。私は相変わらず痛さを我慢して働いて居ります。どんなに苦しくとも(造園の)計画の完成するまでは止めません。この夏は希有な雨続きで6月以来降り続き、まだ止みそうもありませんが、人手は足らず何もかも手遅れで畑は草が茫々です。

種子を蒔いてもロクに生えず(湿気が多い為)、果実はほとんど木で腐るあり様です。いずれ遠からず、この反動が来て、寒気と旱魃に悩まされる事と思います。

アメリカも相変らず好景気ですが、給料は上がっても物価、特に食料が値上がりし、生活はそう楽ではありません。ある専門家の話では、いずれ反動が来て、あの1920年度、30年度の世界的な大不況が来るとの事です。あなたの感傷的なお気持ちも母の愛を知らぬ私にもよく解ります。ではお大切に。健康が幸福の基です。


〈80歳になり喜んでいいのか悲しんでいいのか〉

1966年11月7日

美さん、10月28日付けのお手紙、うけ取りました。台風の跡始末も出来、何よりです。家主の利己主義で、あんたの様な事なかれ主義の人は却ってつけ込まれます。家の修理の費用はちゃんと受取証を取って置き、何時か機会のある時請求するか、また家賃から差し引かせる事です。

父の遺産に就いては、はっきり○○に依頼しておきましたから、不遠、手続きがある事と信じます。

当地は台風で2回の大洪水があり、数エーカーの農園が目も当てられぬ惨状です。11月に入って天候も漸く回復し、朝夕はセーターが欲しい位の涼しさです。来る15日には今年の台風期は終わります。

今年は私一生の中で、もっとも悪い年の一つでした。病気はする、天災は蒙る。何一つ、思うように行かなかった上、ただ一人の妹にさえ、再び逢へず、今は幽明界を異(ゆうめいさかいをこと)にする事になりました。如何に持って生まれた宿命とは言え、余りにも人生のみじめさをシミジミと感じさせられました。

物価騰貴は世界共通で日本の野菜相場も紙上で承知しております。当地も季節外の野菜物などとても高くて買う気にならず、あり合せの缶詰や瓶詰で事を足しております。

今日はサンデー、仕事は休んで、御無沙汰していた方々へ手紙を書く事にしました。


〈誕生日に日本酒を味わう〉

一昨日5日は私の誕生日でした。ウカウカしている間に、トートー80歳になり喜んでいいのか、悲しんでいいのか、一種何とも言えぬ変な気がします。晩餐には親友数人が集まり(皆白人)、中に一人、日本料理を心得た者があったので全部日本料理で祝ってくれました。久し振りに白鶴という日本酒をあの小さな杯で味わいました。

随分と長続きした雨期も漸く終わり、腕の痛みも薄らいだので、例の土いじりを始める事にします。


〈日本語も話さぬ、日本の本も新聞も読まぬ〉

1967年1月25日

玲さん(姪)、元気か? 昨夜、あんたの古い手紙を見つけてなつかしくなったので手紙を書く事にした。お互いに落ち度も誤解もあった。過去の事は一切言わぬに事にしよう。私は別に変りない。くわしい事はお母さんから聞いていよう。妹が亡くなってからは故郷からの便りは絶えた。

故国からの便りは年々薄らいで行く。今は、京都から時々来るだけだ。私は幸い健康だが、気候の変わり目に起こる例の関節炎には苦しむ。昨年は特にひどかった。一時は長い間、歩行もできず手も不自由で、孤独のみじめさをしみじみ味わった。

私は相変わらず市中に住んでいるが、毎日、農園へ出かける。数年前から熱帯果樹の栽培に熱中している。あと2年もすれば植付けは完了する。これで60年前の夢が実現するようだ。

この地方の古い一世はほとんど死絶えた。日系の二世、三世はあちこちに散らばっているが、別に逢いたいと思わない。逢ったところで、何の感じもしない。長い間、日本語も話さぬし、日本の本も新聞も全然読まぬので字は忘れるし、物の名は思い出せぬ。手紙を書くのに骨が折れる。故国は年々遠ざかって行くが、幸いここで親しい友達も少なくないので、別にさびしくもない。

私はよく夢を見る。日中でもよく見る。之は夢ではなく空想だが、私は何時も何か考えているのが何より楽しい。私は歳を取ったが、気分は昔と変わりない。したい事は山程あり、人間に死ということがなく永遠に生きられたらなど、つまらぬことを思う事もある。


〈フロリダは今がシーズン〉

フロリダは今、シーズンの真っ最中。人間とカーでごった返しだ。気候は申し分ない。日中温度80度(約27℃)、夜間70度(約21℃)位だ。アメリカは好景気だが物価騰貴で生活はそう楽ではない。日本も多分同じだろう。玲さん、子供はまだか? 子供のいない家庭はさびしいものだ。

今、丁度朝の8時だ。天気予報は曇天シャワー。今日は日本の黒松と宇治茶の苗の植え替えの予定で、もって来いの天候だ。昨年は日本桜3本(2種)楓(紅葉)1本、丹波栗(皆こちら生まれ)を植えつけた。結果はよさそうだ。日本から取り寄せたユスラ梅の種子を一斤(約600グラム)蒔いた。うまくいくといいが日本から来る種子はどうも結果が好くない。昨年は日本桜3本(2種)楓(紅葉)1本と、丹波栗(皆こちら生まれ)を植えつけた。

私は、茶は何より好物だが日本茶は好かぬ。とんと味がない。印度茶を愛用している。人間の嗜好も年と気候で変わるようだ。日本の食料品は何でもあるが、米と醤油は何年経っても飽きがない。アメリカ人もだんだん食べるようになった。書けばきりがない。今日はこれでやめることにする。さようなら。

フロリダの海岸沿い。助次が姪に送った絵葉書から。


〈日本の生け花が大流行〉

1967年2月5日

明ちゃん、久し振りに手紙ありがとう。こちらは暑からず寒からず、今や果樹、野菜、花卉等の出盛りで全くのパラダイスだ。会社では相変わらずオーバータイムとか、人手不足か、それとも経費節減の為か、サンデー、サタデー、ホリデーは皆休みだ。日本はまだ時間は不規律のようだが。

明ちゃんが今、急に一万ドルの大金持ちになった夢を見た。これが実現したら明ちゃんはどうなるか少し心配になる。こちらも十代の結婚が大流行だが、結果は悪いようだ。恋愛の美名のもと、性がうられている始末、甘く行かぬのは当然だ。

日本の生花(いけばな)はこちらでは大流行、暇のある婦人達は皆、稽古している。教会の重要な人物がドンドン死んでいく。ほとんどハートアタックだ。何の役にも立たぬ俗物は病気一つしない。全くの穀つぶしだ。11時半だが、温度は63度(約17℃)、朝方は50度(10℃)くらいまで下がる。


〈今日植えて、明日死んでも悔いはない〉

1967年2月21日

玲さん、遠くなれば疎んずる。お互いの疎遠はやむを得ぬ。久し振りの便りほど嬉しいものはない。遠く離れた異境に住む一人者にはひとしおだ。玲さん、あんたは一体如何したのだ。何時ものあの元気がないようだ。気分でも悪いのか。それとも、何か不服でもあるのか。こちらに隣の牧場は青いと言う諺がある。他人の事は良く見えるのだ。貧乏人はお金さえあったらと思い、金持ちは身体が丈夫だったらとくやむ。ままならぬのが世の中だ。

物事が思うように行かぬといってヤケを起こしたり、クヨクヨしたりせず、最善を尽くした上は運に任せるより外ないと思う。私の一生は失敗の繰り返しであったが、希望は捨てなかった。

80歳を越して木を植えるのを、人は馬鹿だと笑う。確かに馬鹿だが、私の一生の願望であり夢である。今日植えて明日、死んでも何の悔いはない。

人生は永い夢だ。夢に生き、夢に死ぬのだ。私はよく夢を見る。先夜も明子が一万弗の金持ちになった。ある人からの遺産である。これが実現したらどうするか。明子に尋ねたが、返事もなかった。玲さん、あんただったら如何する、

もう一つの夢は私の家が丸焼けになった夢だ。何一つ残らなかった。私は永い間、日本に帰る帰るといって来て帰らぬが、二年後には実行出来ると思う。私の計画も完成し次第、隣の農業試験場(45英町で私が州に寄付したもの)に留守中の世話を託して、ゆっくり帰れる。待っていてくれ。くれぐれも無理せぬように。暇な時、また手紙をくれ。

追伸:写真で見ると、お母さんはずっと若やいだようだ。明子もきれいになった。私は歳のせいか不注意で困る。先達ては畑で入れ歯をなくし、今度は腕時計を落とした。どちらもまだ見付からぬ。

(敬称略)

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© 2020 Ryusuke Kawai

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このシリーズについて

20世紀初頭、フロリダ州南部に出現した日本人村大和コロニー。一農民として、また開拓者として、京都市の宮津から入植した森上助次(ジョージ・モリカミ)は、現在フロリダ州にある「モリカミ博物館・日本庭園」の基礎をつくった人物である。戦前にコロニーが解体、消滅したのちも現地に留まり、戦争を経てたったひとり農業をつづけた。最後は膨大な土地を寄付し地元にその名を残した彼は、生涯独身で日本に帰ることもなかったが、望郷の念のは人一倍で日本へ手紙を書きつづけた。なかでも亡き弟の妻や娘たち岡本一家とは頻繁に文通をした。会ったことはなかったが家族のように接し、現地の様子や思いを届けた。彼が残した手紙から、一世の記録として、その生涯と孤独な望郷の念をたどる。