ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/982/

多人種が共に生き、関わること(英語)

(英語)アメリカは、未来の世界の縮図のようだと思います。我々は今、異なる人種の人々が共に生き、関わり合い、互いにうまくやっていかなければならない環境に生きています。アメリカも、世界もまさにそうです。私は日本人で、君は中国人で違うのだから別々に分かれましょうなどと言うことはできません。

僕は、日系人の補償運動に参加し、共に戦ってくれた日系以外のたくさんのアジア系の人たちのことを覚えています。彼らは、参加しなければならなかったわけでもなく、そこから何かを得られたわけでもありません。それにもかかわらず、彼らは、積極的に活動に参加する必要性を道義的に感じていました。そして僕も、彼らが抱える問題について同じように感じています。ですから、日系アメリカ人の未来は、アメリカの他の民族グループと何ら変わらない状況にあり、さらには世界中の国の状況とも変わりありません。要は、仲良くやっていかなければならないのです。


コミュニティ エスニシティ 集団アイデンティティ リドレス運動

日付: 1998年7月1・2日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ミッチェル・マキ、ダーシー・イキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

クリフォード・ウエダ氏は、1917年1月14日、ワシントン州オリンピアの牡蠣養殖業者の家庭に生まれました。1941年から1945年にかけてウィスコンシン大学で学び、その後、ルイジアナ州ニューオーリンズのチュレーン大学医学部に進学しました。ウエダ氏は、カリフォルニア州サンフランシスコで医師となりました。

ウエダ氏が日系アメリカ人市民同盟で活動を始めたのは、1960年にサンフランシスコ支部で一世のオーラル・ヒストリー・プロジェクトの座長を務めたことがきっかけでした。ウエダ氏は、サンフランシスコ州立大学でエスニック・スタディーズの専門学部の立ち上げに貢献した他、「東京ローズ」として知られるアイバ・トグリ氏が、大統領恩赦を得てアメリカ国籍を回復するための支援者のひとりとして、重要な役割を果たしました。

1975年、医師を引退したウエダ氏は、フルタイムの活動家に転身しました。1977年、ウエダ氏は、全米JACLの代表として日系人強制収容に対する賠償運動に参加し、1978年から1980にはJACL会長となりました。様々な役割を通してコミュニティに貢献してきたウエダ氏は、2004年、84歳で癌のため亡くなりました。(2008年4月11日)

ミシェル・ヤマシロ

沖縄系アメリカ人(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

トム・ユキ

餅つきの伝統(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

ミシェル・ヤマシロ

日本人がペルーへ移住した理由 (英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ファン・アルベルト・松本

在日日系コミュニティの変化

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

モニカ・タイシャ―

日系コミュニティ最大のイベント、敬老会(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

カズム・ナガヌマ

彼の妹は家族のために賠償金を確保した

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

ミア・ヤマモト

アジア太平洋諸島法学生協会の共同設立

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

社会正義のために立ち上がる

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士