ディスカバー・ニッケイ

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日系アメリカ人市民同盟(JACL)代表への任命(英語)

(英語)アイバ・トグリ(「東京ローズ」)が大統領恩赦を受けたのが1977年で、ちょうど同じ年、全米JACL委員のエド・ヤマモト氏1から電話がありました。全米JACL-当時は、賠償委員会と呼んでいました-の代表を引き継がないか、という打診でした。でも、僕は断りました。そもそも僕は、強制収容所にいたことはありませんでしたし、いたことのある人が代表になるべきだと考えていたからです。僕は、収容所のことは何も知りませんでしたし、補償についても無知でした。

その後、彼から何度も電話があり、毎回こう言われました。「委員にはそう伝えたけど、もう1度説得してみて、と言うんだ。」何回かの電話の後、僕は少し考えてみました。確かに自分にはアイバ・トグリの支援活動の経験があるし、少なくても補償運動を全国規模に引き上げられるのではないか。もしそうなったら、そこから人々の力で進めていけばいいのではないか。

補償は、一人や二人といった少人数では成し遂げられないことを、僕は分かっていました。大勢の力が必要なのです。政治的な側面は、政治家に任せる必要があるのです。それで僕は、「わかった、引き受ける」と回答したのです。

1. エドワード・M・ヤマモト氏は、1976年、JACL賠償委員会の議長に任命されました。ヤマモト氏と当時新たに発足したこの委員会は、1976年のJACL全国大会で発表するための様々な賠償案の検討を行わなければなりませんでした。全国大会では、満場一致で賠償金の支払い要求が決議され、同時に賠償金請求のための連邦法の制定を求める権限を得ました。


JACL賠償委員会 リドレス運動

日付: 1998年7月1・2日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ミッチェル・マキ、ダーシー・イキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

クリフォード・ウエダ氏は、1917年1月14日、ワシントン州オリンピアの牡蠣養殖業者の家庭に生まれました。1941年から1945年にかけてウィスコンシン大学で学び、その後、ルイジアナ州ニューオーリンズのチュレーン大学医学部に進学しました。ウエダ氏は、カリフォルニア州サンフランシスコで医師となりました。

ウエダ氏が日系アメリカ人市民同盟で活動を始めたのは、1960年にサンフランシスコ支部で一世のオーラル・ヒストリー・プロジェクトの座長を務めたことがきっかけでした。ウエダ氏は、サンフランシスコ州立大学でエスニック・スタディーズの専門学部の立ち上げに貢献した他、「東京ローズ」として知られるアイバ・トグリ氏が、大統領恩赦を得てアメリカ国籍を回復するための支援者のひとりとして、重要な役割を果たしました。

1975年、医師を引退したウエダ氏は、フルタイムの活動家に転身しました。1977年、ウエダ氏は、全米JACLの代表として日系人強制収容に対する賠償運動に参加し、1978年から1980にはJACL会長となりました。様々な役割を通してコミュニティに貢献してきたウエダ氏は、2004年、84歳で癌のため亡くなりました。(2008年4月11日)

竹下幸男

JACLとの関わり(英語)

「アメリカ生まれの日本人」・元ビジネスマン。(1935年生)

グレース・ウエハラ

収容所の補償運動の達成と教育(英語)

(1919 - 2014年)日系アメリカ人の強制収容所に対する補償運動や公民権運動で活躍した活動家。

アート・シバヤマ

日系ペルー人ゆえに拒否された賠償金(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

ロジャー・シモムラ

戦中の体験を尋ねたときの父の否定的反応(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

フランク・ヤマサキ

賠償金について(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

ミツオ・イトウ

カナダでの補償運動(英語)

日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

Asian Americans for Actionへ参加してよかったこと(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

収容所経験のない一世に対する補償運動(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

時期を見計らって始めた補償運動(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ジャック・ハージック

人種ゆえにより説得力を持った証言(英語)

元米国陸軍対敵諜報部将校(1922-2005)

ジャック・ハージック

集団訴訟によってまとまった日系コミュニティ(英語)

元米国陸軍対敵諜報部将校(1922-2005)

デール・ミナミ

二世が戦中体験を語るきっかけとなった賠償運動の役割 (英語)

弁護士 (1946年生)

デール・ミナミ

コレマツ裁判が現代社会に与えた影響 (英語)

弁護士 (1946年生)

スー・エンブリー

考え方の変化(英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)

スー・エンブリー

制度の中で(英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)