ディスカバー・ニッケイ

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野田良治先生による日葡辞書

日本語とブラジル語の辞書。日本語とブラジル語の辞書が上下2巻になってますが、それを作った野田良治先生、野田良治先生がこのアルモニアにおられて、5年間おられたんです。その間に日本に2回も3回もお帰りになったんですが、ここを本拠地として辞書を作るお仕事をなさったんでした。この野田先生は当時80歳を越していたんですが、もう非常に健康で、毎日辞書を作ることに熱中しておられてた。私はそれを、仕事振りをですね、見せてもらって大変な努力だと思ったことでした。


辞書 日本人 言語 ポルトガル語

日付:

場所: ブラジル

提供: Caminho da memória - 遥かなるみちのり. São Paulo, Brazil: Comissão de Elaboração da História dos 80 Anos de Imigração Japonesa no Brasil, 1998. VHS.

語り手のプロフィール

二木秀人氏は1911年7月に長野県に生まれました。1932年に「モンテビデオ丸」にて渡伯、1936年にSorocabanaの学校へ入学しました。1937年から42年にかけては大正学校の先生として勤務、閉校後も教師としての仕事を続けました。1946年には、力行会と共にサンパウロ学生会を設立。1953年にはハーモニー学生寮の創設にも貢献し、以来そこで27年間勤務しました。二木氏の功績は認められ、日本政府から勲五等瑞宝章を、ブラジルにおいては、São Bernardo do Campo名誉市民の称号があたれられました。 (1998年)

アート・シバヤマ

ペルーへの帰国が不可能ゆえに英語を習得(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

キミ・ワカバヤシ

移住初期のカナダでの生活 (英語)

日系カナダ人一世。1931年にカナダへ夫と移住。(1912年生)

ミツオ・イトウ

日本語学校 (英語)

日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)

ロイ・ヒラバヤシ

学校と家で学んだ日本語(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

フランク・ソギ

日本語学校に通ったこと(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

日系アメリカ人として持つ日本に対する親近感(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

ポーラ・オヨス・ハットリ

ひとつの言葉で考え、別の言葉で生活(スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

外間良広

移住当初、言葉で苦労

沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)

高木一臣

スペイン語の学習(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

クリフォード・ウエダ

日本語学校(英語)

政治活動家 (1917 - 2004)

ヘンリー・須藤

無我夢中で頑張った戦後

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

天野美代子

日本語とスペイン語両方を使って生活

天野博物館館長 (1929年生)

フランチェスカ・ユカリ・ビラー

アイデンティティにとっての文化の重要性(英語)

ユダヤ系日系アメリカ人ジャーナリスト

ジミー・ムラカミ

日本で英語を教える(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

キシ・バシ

日本人でもありアメリカ人でもある(英語)

音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生)