ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/824/

日本人の母から見た日系人収容所

(アメリカへ来る前、日系人については)ほとんど知りませんでした。で、私の母は戦争を経験してて、私の母がやっぱり日系人の人たちが、第二次世界大戦が始まる時に、キャンプ(収容所)に送られたっていうことは聞きました。で、もう一つおもしろい話をすると、私の母も何の本を読んだか知りませんけれども、岐阜は空襲にあったんです。で、母の家もこう疎開から帰ってきたら全部灰のように無くなっていた。母が私に言ったのは「日系人の人たちのほうが幸せかもしれない」って。うちは焼かれなくても、一応食べ物があって、何かを確保されてるって。うちの私たちの母や父やおじいちゃんたちは、もっと食べ物もなくて苦しい思いをしていたっていうのは、母は言ったことがあります。だから、日系の人たちがキャンプに送られたのは悲しい事実だけれども、もしかしたら幸せだったかもしれないって。それを聞いたことがあります。


投獄 監禁 第二次世界大戦

日付: 2007年3月1日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

松原由美氏は岐阜県岐阜市出身です。日本の保守的な家庭に育ったという松原氏は、1992年3月末、親に内緒で英語上達の目的にて渡米しました。英語学校へ数ヶ月通った後、日本の短大で美術を専攻していたこともあり、ロサンゼルスのFashion Institute of Design & Merchandising(FIDM)へ進学し、ファッションを学びました。1994年にFIDM卒業後、ファッション関連の企業へ就職しました。

この頃より、少しづつアメリカ永住を考えるようになり、就職先の会社からグリンカード(アメリカ永住権)をサポートしてもらうことになりました。しかし、1999年会社が経営不振に陥り、永住権を取得する前に退社。永住権のことなどもあり、同年11月その頃知り合ったアメリカ人男性との結婚を2週間で決意しました。2001年5月、念願のグリンカードを取得し、2006年12月にアメリカ市民権を取得しました。現在も、ロサンゼルスにてファッション関係のビジネスに携わり、グレーダー1やスペックライター2として活躍しています。 (2007年3月1日)

1.グレーダー: 標準サイズのパターンをもとに、各種のサイズに展開させるための型紙製作を専門的に行う職業。
2.スペックライター: 各商品の詳細(デザイン、サイズ、細かい仕様など)の標準値を表に記す作業を専門的に行う職業。

モニカ・タイシャ―

フサガスガ強制収容所での祖父の話(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

モニカ・タイシャ―

フサガスガの強制収容所にいれられた祖父(スペイン語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティで歓迎を受けた家族(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティでの最初の食事(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

クリスタルシティの雷

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ベン・サコグチ

キャンプから帰ってきて

(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家