インタビュー
フィリピン・ダバオでの暮らし(英語)
(英語)父はフィリピンへ行きました。というのも、その当時は、ブラジルかフィリピンのどちらかの国へしか海外に行くことが許されなかったので、父はフィリピンを選んだのです。1937年5月1日にフィリピンに着きました。その一年後、ミンダナオ島ダバオで私が生まれました。
その時その地域には約2万人の日本人がいて、広範囲で活発に文化活動を行っていました。ダバオは船用のロープや芋の袋といった麻を使った製品で繁栄していました。父はしばらくの間、トタン板から水槽や屋根などの製品を作る見習いをしていました。その後日本に戻って自分の店を持ち、商売は徐々に繁盛していきました。
日付: 2017年7月12日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 渡辺美津重、西村陽子、レイトン・オカダ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター