インタビュー
アメリカへ移住することへの葛藤
えぇ、いろいろすごい葛藤がありましたね。私はこれ大間違いしてるんじゃないのかしらと思って。ただ浮かれてアメリカに行くっていうので、あこがれてひょろひょろとこっち来たわけじゃないんです。私これで人生踏み間違えたのじゃないかしら。私は日本にいて、この家に、日本に残るべきじゃないのかしらと思って・・・その時にまだ、私が藤沢にいる頃でしたけど。だからおいそれと心よく浮かれて来たわけじゃないんです。
だから私がアメリカに来てからすぐ、皆から「アメリカに来てよかったわね。」「アメリカに来るチャンスがあってよかったわね。」だけど私その時にその、大手を広げて本当にそうだったとは言えなかったんです。自分で本当に自分の将来を間違っているのかしらって、それがいつでも頭の中にあったです。でも彼は実直そのものでしたから、彼一人が頼りだったし。
ちょうど戦争のね、1950・・・50年頃でしたね。あのときにアメリカの映画でね、「Going May Way」という映画があったんです。その映画のタイトルが好きで、自分の道、「わが道を行く」っていうんですよね。それに励まされて、私はアメリカに来たんです。我が道を行く。
日付: 2012年1月26日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ジョン・エサキ、西村 陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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