ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1325/

マンザナールの保存と水道電力局(英語)

(英語)その頃、私は既に市長室に移っていました。連邦政府は、マンザナールを史跡として認定しようとしていましたが、土地は水道電力局が所有していたため、足を踏み入れることはできませんでした。それで政府は市長に連絡し、私が水道電力局を追い出す形で対応したのです。その後、政府は史跡認定を発表しました。 数年後、連邦政府は事業性(評価)調査を行うことになり、議会は、太平洋戦争に関わる場所を調査するための法案を通しました。その一環として、全ての強制収容所跡地を視察し、どれを保存すべきか検証することになりました。しかし、政府はまたマンザナールの敷地に入ることができませんでした。 その後、市長室に再び私宛てで電話連絡が入り、私は水道電力局を遮り、事業性調査ができるよう、公園局を通しました。


カリフォルニア州 強制収容所 政府 史跡 歴史 法律 マンザナー強制収容所 政治 アメリカ合衆国 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2013年7月17日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ショーン・ハマモト

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association

語り手のプロフィール

ローズ・マツイ・オチ氏は、1938年12月15日カリフォルニア州ロサンゼルス東部に生まれました。第二次世界大戦の勃発により、当時まだ幼かったオチ氏は、一家と共にサンタアニタ競馬場跡地に強制収容されました。その後、一家は、当時の日系アメリカ人強制収容所の一つであったローワーに鉄道で移送されました。強制収容所から釈放されたオチ氏の両親は、国外退去を命じられましたが、市民権専門の弁護士がこれを覆し、両親を助けました。オチ氏は、一家の辛い体験を通して不当な扱いを知り、不正を正すことを学びました。

オチ氏は、人権や社会正義のために戦うことを目指し、法律の道に進むことを決意しました。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で学士号を取得した後、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校で理学修士号を取得し、ロヨラ法化大学院で法学士を取得しました。彼女は、貧困層のための弁護士、「レジー」としてU.S.C. Western Center on Law and Povertyでキャリアをスタートさせ、共同登録弁護士としてセラーノ対プリースト裁判に携わりました。この裁判は、教育の機会平等のための法改正に挑んだ画期的裁判でした。以後オチ氏は、カリフォルニア州認定弁護士、司法委員、懲戒審査官を務め、ロサンゼルス郡弁護士会のための初代AA運営委員会メンバーにもなりました。

また、近年ではツナキャニオン日系人抑留所の保存に貢献し、同抑留所は議会からの歴史遺産認定を受けました。オチ氏は2020年12月亡くなりました。 (2020年12月)

エヴェリン・ヨシムラ

『Gidra』の内容 (英語)

コミュニティ・アクティビスト

A. ウォーレス・タシマ

優等生ではなかった(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

A. ウォーレス・タシマ

日系アメリカ人弁護士として拒絶される(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

フミコ・ハチヤ・ワッサーマン

文化人類学から法学への転向(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事

イワオ・タカモト

マンザナーに向かう途中での喪失

ウォルト・ディズニーとハンナ・バーベラの日本人アニメーター(1925-2007)

ミア・ヤマモト

アジア太平洋諸島法学生協会の共同設立

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士