ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1277/

「ギドラ」の編集過程(英語)

(英語)明白な編集ポリシーはありませんでしたが、当時運動に関わっていた若者の考えや想い、願いを反映させたいと思っていました。自分たちのことを、それこそ年代記編者だとかニュース記者などと思ったことはありませんでしたし、そういう意味では、「ギドラ」を1ページずつ読んだとしても、その時代に何が起きていたか、必ずしも紙面から当時の歴史を組み立てることはできないでしょう。記事の多くが、詩や絵、写真、その他のクリエーティブな手法を使った表現によるものでした。著述や散文においても、何を書き、何を語るかという意味で、書き手には高い自由度がありました。僕らの狙いは、自分自身を表現できる手段を、本当の意味で持つことでした。


アイデンティティ

日付: 2011年9月29日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: クリス・クロミツ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

マイク・ムラセ氏は、弁護士、活動家、行政官、作家、写真家であり、福祉や社会変革活動、教育、行政、政治に40年以上にわたり携わってきました。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の学部生時代には、アジア系アメリカ人研究センター(アジアンアメリカンスタディセンター)の立ち上げメンバーとなり、その後、UCLA、南カリフォルニア大学、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校で民族学(民族研究)を教えました。

マイクのアジア系アメリカ人コミュニティとの関わりは深く、リトルトーキョー・サービスセンター(LTSC)の立ち上げに中心メンバーの1人として携わりました。このセンターは、リトルトーキョー、ひいてはロサンゼルス全体の日系アメリカ人コミュニティの社会福祉や地域経済発展のために設立され、マイクは、最初の5年間センター長を務めました。また、彼は、日系福祉権協会、リトル・トーキョー人権協会、補償を求める全国連合(NCRR)といった団体を支持し、著書には、「Little Tokyo: One Hundred Year History」があります。2006年、マイクはLTSC運営チームの一員としてセンターに戻り、現在サービスプログラム部門長を務めています。(2012年8月)

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ケニー・エンドウ

ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)

ビンス・オオタ

東海岸とロサンゼルスの違い(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

田中誠一

アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

フランク・ソギ

MISで出会った本土からの日系人(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

エンセン・井上

日本社会への突然の受け入れ(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)