南加日系人の声
Nanka Nikkei Voices (NNV) は、南カリフォルニア日系アメリカ人歴史協会の出版物です。Nanka は「南カリフォルニア」、Nikkei は「日系アメリカ人」を意味します。NNV の焦点は、平均的な日系アメリカ人や、私たちの歴史と文化遺産に強いつながりを持つ他の人々の「声」を通じて、南カリフォルニアの日系アメリカ人コミュニティの物語を記録することです。
このシリーズでは、過去4回発行の「南加日経Voices」からさまざまなストーリーを紹介します。
このシリーズのストーリー
アラン ホテル
2016年3月15日 • 平原 直美
ジャーナリストにとって、決して忘れることのない物語というものは、おそらくほんの一握りしかない。リトル東京のアラン ホテルについて私が感じているのは、まさにその通りだ。 それは、1986年、私が日系アメリカ人の日刊紙「羅府新報」の歩兵、もっと正式には記者だった頃の、ほぼ一生先の話だった。私は長い髪をパーマで乱し、前髪はよく見えるように短く切っていた。記者にとって、見ることは重要だった。そして、私がこれから目撃しようとしているものが信じられなかった。 1980 年代半ば、リトル…
エレベーターでの遭遇
2015年10月8日 • エレン・エンドウ
約1年前、私と友人はダウンタウンの高層ビルのエレベーターに乗りました。私は5階のボタンを押しました。友人は、羅府新報が毎年卒業号に載せる生徒の名前をどうやって集めているのか知りたがっていました。「年々難しくなっています」と私は認めました。「学校側は日系人の生徒の名前を教えてくれないんです。」すでにエレベーターに立っていた男性が私たちの話を聞いて口を挟んだ。「なぜ日系アメリカ人の学生は学校で成績が良いのですか?」最初に思ったのは、「おい、これは君の話じゃない」ということだった…
遺産
2015年6月19日 • イク・キリヤマ
私の世代の日系アメリカ人(60歳以上の二世)にとって、私たちの道徳的および文化的価値観の源泉は明確であり、簡単に定義できます。私たちの道徳的、文化的価値観は、両親や祖父母の日本文化遺産から生まれています。お互いに面識のない二世のグループが一部屋に集まり、幼少時代の話をすると、共通の一世の価値観が語られ、すぐに絆が生まれるでしょう。これらの価値観にはどのようなものがあるでしょうか。そのリストには、浸透作用、つまり親の言葉ではなく実践によって学んだと思われる価値観の物語が間違い…
再定住
2015年6月10日 • マーサ・ナカガワ
サクラメント デルタ地域出身の帰化人、アキオ・「ローレンス」・ナカガワは、ユタ州トパーズの収容所に収容されました。忠誠心の質問に「ノーノー」と答えた彼は、カリフォルニア州トゥーリー レイクに移送され、戦争が終わるまでそこに留まり、1945 年 9 月に去りました。トゥーリー湖から解放された彼は、中西部のミネソタ州ミネアポリスに向かうことを決意した。そこで彼は、強制収容所に移送される前に会ったオークランド在住の白人牧師からその学校のことを聞いていたノースセントラル聖書学校に入…
以前の世代
2015年5月6日 • ブライアン・ニイヤ
私がようやく学んだことの一つは、遅い人と早い人がいるということ。遅い家族と早い家族がある。そして遅い世代と早い世代がある。私は早生まれの家庭で育ちました。両親はいつもどこに行くにも30分早く到着していました。例えば空港で誰かを迎えに行く場合、飛行機が時間通りでも少なくとも30分は待たなければならないということを私は早くから学びました。野球の試合に行くということは、試合が始まる前に、他の誰よりも早く到着し、バッティング練習を見て、ホットドッグを買って、お土産を買って、座席で落…
岡崎・久井田移住
2015年4月20日 • ジェニ・エミコ・クイダ
大統領令 9066 号が署名されたとき、両親は二人ともまだ幼かった。母の岡崎真知子は 4 歳から 7 歳まで 4 か所に住んでいた。サンタアニタ競馬場、ワイオミング州ハートマウンテン、テキサス州クリスタルシティ、ニュージャージー州シーブルックファーム。私の祖父、岡崎正志番長は天理教の牧師でしたが、牧師という職業柄、家族と離れ離れになっていました。祖父は1944年にクリスタルシティで祖母とその5人の子供たちと再会しました。9歳の娘スミは脳腫瘍でクリスタルシティで亡くなりました…