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2017年渡米、「楽観」ラーメンの伊東良平さん

移住までに6年かけて準備

2017年7月にロサンゼルスのダウンタウンに店を開けてからサウスベイのレドンドビーチ、さらにサンタモニカと開店が続いた楽観ラーメン。Rakkan USAのCEO、伊東良平さんは自らのラーメンを武器に米国移住を果たした人物で、現在はロサンゼルスを拠点に、全米、ヨーロッパへの進出も視野に入れている。伊東さんが海外移住を志すようになったのは、専門学校を卒業後に世界を巡るNGOの大型船にシェフとして乗り込んだ10年以上前にさかのぼる。

「1年くらいかけて世界を2周しました。その時はアメリカには来なかったのですが、その後、まずアジア各国を数カ月かけてバックパッカーとして旅して回った後、バイトでお金を貯めて、アメリカに上陸。ロサンゼルスから入ってシカゴ、マイアミ、メキシコ、さらにキューバまで足を伸ばしました。当時のアメリカの印象? 正直に言うと、疎外感を感じたというか、あまり優しさに触れることができず冷たい印象を受けました。当時はベジタリアンだったので自分自身にパワーがなかったせいかもしれません(笑)。ロサンゼルスではベニスビーチのユースホステルに滞在していたんですが、観光客とホームレスの人々が大勢いることで混沌としたイメージも抱きましたね」。

バックパッカーとしてアメリカを周遊していた頃。当時23歳。

しかし、ロサンゼルスには伊東さんが好きなものも共存していた。「自然が好きなので、ここは大都会だけれど同時に海や山を身近に感じられる点に魅かれました。ロサンゼルスは自分にとっての鍵となる場所だと思いました」。

子どもの頃から活発だった伊東さんは、将来は日本一周と世界一周をしたいと夢見ていた。日本一周は早くに果たし、船の乗組員とバックパッカーとして世界一周の夢も実現させた。次に夢を見たのはアメリカへの移住だ。しかし、アメリカでの旅を終えた時点で二十代前半、すぐに移住を実行に移すより前に日本でやるべきことがあると伊東さんは移住準備に6年を費やした。

世界をめぐるクルーズ船での仲間と共に。「コックも多種多様な人種で、まかないもそれぞれの国のユニークな料理だったので勉強になりました」と振り返る。

「世界を回った時に確実にラーメンは受けるという手応えを得たことで、アメリカでラーメン店を開けることで移住しようと将来像を描きました。しかし、いきなり外国で勝負するのではなく、日本でまず経営の経験を積むのが先決だと思い、2011年、西麻布に楽観ラーメンを開けました」。

日本ではテレビ番組に取材されて行列の店になるなど話題を集めた。「場所を西麻布にしたのは、世界からのお客さんに触れることができる、日本の中でもグローバルな場所だからです。そして常にアメリカに店を出すことを虎視眈々と狙っていました。でも資金的な面で結果的に6年、7年近くかかりましたね」。

2014年からは海外のフランチャイザーが参加する食のエキスポにも出展を始めた。そして、ロサンゼルスの食品商社とコネクションができ、ロサンゼルスのダウンタウンに売り物件が出ていることを知り、2017年に晴れて楽観ラーメンのアメリカ1号店であり、海外1号店のオープンにこぎつけることに成功した。

「オープン前後は単身で渡米し、店と同じ並びにある大丸ホテルで生活しました。その後、嫁と息子を日本から呼んでサウスベイで一緒に暮らし始めました」。

「日本人には楽観的になってほしい」

2020年、伊東さんがアメリカに拠点を移してまもなく3年を迎える。この3年間でアメリカの印象がどう変わったか、何を学んだかを聞いた。「日本は他の人と足並みを揃えないといけないけど、アメリカは個人の希望やペースを尊重してくれる、そこが非常にいい点だと思います。アメリカ社会は多様な人種で構成されているので、人々が寛容だし、自分も柔軟な姿勢で他者を尊重しなければと思っています。価値観の幅がアメリカでの年月で広がったように感じています」。もともと、周囲のことはあまり気にせず自分のペースで突き進むタイプだという伊東さんには、アメリカが合っているのかもしれない。主張すべきだと思うことは主張する、嘘はつかない、という姿勢でこの3年間、アメリカでのビジネスを乗り切ってきたと語る。

そして、5歳と3歳の男の子の父親としては、子どもたちの教育をどのように考えているのかも聞いた。「私たち夫婦が日本人なので、親の姿を見て日本の感覚や姿勢を学んでほしいと思っています。言葉に関しては、学校ではどうしても英語になるので、家庭では日本語を徹底しています。妻は子どもたちを日本語学校に通わせたいと言っています。でも、これから彼らはアメリカで生活していくことになるだろうから、親がどうこう押し付けるのではなく、アメリカ的な感覚で生きていってほしいというのが私の希望です」。

レドンドビーチにある楽観ラーメンでの伊東さん。

再び話をラーメンの事業に戻そう。伊東さんがアメリカに移住した3年前にはすでにロサンゼルスでは多くのラーメン店がしのぎを削っていた。それでもラーメンで勝負をかけようと思ったのはなぜなのか。「ビジネスは考え方次第です。東京の方がロサンゼルスに比べられないほどラーメン店の数は多いわけだし、自分はそこでビジネスを続けていたという自負があります。日本の人口1億に対してアメリカは3億。まだまだ入り込む余地はあります」。実際に楽観は、2020年3月時点でテキサス州ヒューストン、イリノイ州シカゴ、ジョージア州アトランタ、コロラド州デンバーへの出店が決まっているそうだ。

2019年、初めて伊東さんに会った時、彼の言葉で忘れられなかったのが店名の由来。「日本人にもっともっと楽観的になってほしいという意味を込めました」と彼は答えた。アメリカの日系社会は縮小している。駐在員の数が減り、筆者のような日本生まれの新一世たちもアメリカでの高額な医療費を理由にある程度の年齢になると日本に帰国する人が後を絶たない。日本国内だけでなく、今やアメリカの日系も「悲観的」だ。だからこそ、伊東さんのような人がアメリカでチャレンジすることで、日系社会に新しい風を吹き込んでくれるのではないかと、私は密かに、そして「楽観的」に期待しているのだ。

ウェブサイト:楽観ラーメン

 

© 2020 Keiko Fukuda

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