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そこに居るだけで「日系」代表: カーピンテリア市長で三世のウェイド・ノムラさん

リトル東京にある日系団体のトップとして先頭を切って日系人の地位向上に努める三世がいる中で、日系コミュニティから離れて米社会に根差した生活をしながら、「そこに居るだけで『日系』を代表している」三世も沢山いる。いや、そういう日系人の方が大多数だろう。サンタバーバラ生まれで三世のウェイド・ノムラ氏(65歳)は、その代表的存在だ。

ロスから車で北へ約一時間半ほど、サンタバーバラのすぐ南に位置するカーピンテリア市市長に、昨年12月就任した。30年近く、日系アメリカ人市民連盟(JACL)のサンタバーバラ支部長をしているが、この15年は、日系社会を越えた分野での活躍が注目されている。

Wade Nomura at the Mayor's Desk.

ノムラ氏は、カリフォルニア州立工科大学サンルイス・オビスポ校卒業直後に、造園会社「ノムラ・ヤマサキ・ランドスケイプ」を設立し、社長に就任。二年前に乳癌で他界した同じく日系三世の故ロクサン・シノダ・ノムラさん(享年64歳)と学生結婚し、誰もが認めるオシドリ夫婦だった。市議へ立候補するのも、白人が大多数を占める国際奉仕団体ロータリークラブを2002年に同市へ新設するのも、夫人の励ましと支援があったからだ。

昨年12月、ノムラ氏は、人口1万3000人余り(2010年の国勢調査)の同市で高得票数を得て再選された。任期2年の市長に就任した直後、市の公文書をすべて英語とスペイン語両語で表記することにした。白人ばかりのサンタバーバラで終戦後、「ひどい差別にあった」経験から、市長としてマイノリティーへの配慮を欠かさない。「ヒスパニックは市の人口の51パーセント。マイノリティーじゃないけれど、市政に彼らの声が反映されていない」と思う。自らの造園会社でも多くのヒスパニック労働者を雇っているし、スペイン語は同氏にとって日本語より得意な第二外国語だ。

6月下旬の市議会。「市議会史上最高」といわれる300人余りの市民が押し寄せた。農業が主な産業である同市内の農地で、違法的にマリワナが生産されるのではないかと危機感を持つ農民や一般市民が仕事帰りに結集した。70人ほどの市民が制限時間一人3分を目いっぱい使って違法栽培反対と市の対応不足を訴えた。4時間近く続いた市民の訴えの中には、市長批判とも受け取れる場面が多々あった。

「ウェイドの凄いところは、面と向かって批判されても冷静さを保てるところだ」とその指導力を高く評価するのは、同市でコースタル・ビュー・ニュース紙を発行するゲリー・ドビンズ氏。この記者が同市内にあるノムラ氏が毎日通うというコーヒーショップでインタビューしている最中、ノムラ氏の姿を見つけて笑顔で握手を求めてきた。前夜の市議会での市長のかじ取りの上手さに感動したという。

From left to right: Les Esposito, Wade Nomura, Debbie Nomura, Kim Fly at their favorite coffee shop.

ノムラ氏が所属するカーピンテリア・モーニング・ロータリークラブのキム・フライ会長(52歳)もノムラ氏の人望の厚さを認める一人だ。「日本人の文化じゃないかしら。ウェイドはどんな人に対しても尊敬の念を忘れない。良い意味で外交的よ」という。組織のトップに立つときは、トップダウンよりボトムアップを好む。「Leading without Authority(権威を振り回さない指導)」がノムラ氏のモットーだ。

今は大変温厚で、物静かな語り口のノムラ氏だが、十代の頃は手に負えない腕白だった。「顔の形や体形など日系という外見だけで差別され、むしゃくしゃしていた。僕の意見を聞かないやつはいつも、ぶん殴っていた」と告白する。転機は、16歳の時。柔道のオリンピック選手だった叔父から、柔道と合気道を習い始め、競技以外の場で腕力を使ってはいけないこと、鍛錬の重要さを学んだ。

ノムラ氏は同クラブの創設会員で、8年前にはサンタバーバラ地区のガバナーも務めた。ロータリーと言えば元来、保守的な白人ビジネスマンの奉仕団体だった。女性やマイノリティー会員を歓迎するようになったのは、ほんの30年前からだ。

「今も、ロータリーの会合へ行くと、日系人はウェイドだけよ」と新婚のデビー・ノムラさん(55歳)がいう。澄んだ青い瞳のデビーさんはオーストラリア出身だが、出会いは昨年6月カナダのトロントで開かれたロータリー国際大会。ノムラ氏は、ガバナーの任期を終えてからも中南米各地で井戸建設など地元社会が必要とする奉仕事業を次々と実行し、各種の功労賞を受賞している。全世界で120万にいる会員の中でも注目を浴び、シカゴに本部がある国際ロータリーからよくお呼びがかかる。「白人ばかりの会合の席で、ウェイドはそこに居るだけで、日系人を代表してる」とデビーさんが付け加える。

この25年来ノムラ氏を知るという同市在住のレス・エスポジト氏は、「ウェイドを通して、第二次世界大戦中の日系人強制収容のことを学んだり、どうして、ウェイドがマイノリティーの権利尊重や法の公正さを重視するかを学んだ」という。

With City Council Member Roy Lee in front of his restaurant.

マイノリティーへの配慮とサポートはノムラ氏の基本姿勢でもある。昨年12月の市議会選挙へ、行きつけの中国料理店を経営するロイ・リー氏の立候補を推薦した。台湾から5歳の時、アメリカへ移住した。「ウェイドは、僕の師匠みたいな存在だ」とリー氏は話す。若干37歳で初めての立候補だったが、選挙は楽勝だった。「選挙の仕方から服装まで、何から何までウェイドに教えてもらった」という。

ロータリーに入会してからこの17年間、ノムラ氏はローズパレードのロータリー・フロート作成にも関わっている。車で片道一時間半の遠距離も苦にせず、パサディナで開かれる毎月一回の会合を欠かさない。2020年元旦には、ロータリー・フロートの委員長としてローズパレードに参加する。日系人として初めての委員長だ。

平和希求を最重要課題の一つとして掲げる国際ロータリーはほぼ毎年、世界各地で「平和会議」を開催している。貧困対策、環境保護、紛争解決、核兵器廃絶など平和維持に努めている専門家をスピーカーに招聘し、平和を維持するために私達個人個人に何ができるかを考えてもらう場だ。ノムラ氏はこの平和会議のレギュラーだ。第二次世界大戦中、アリゾナ州のポストン強制収容所に収容された両親の苦い経験を例に、公民権の保守と法の公正さを説くためだ。そのためには、米国内だけでなく、世界各地へ喜んで飛んでいく。日々の会社運営は、頼れるパートナーに任している。

ノムラ氏は全米日系人博物館(JANM)が20年近く前に開催した「More than a Game: Sports in the Japanese American Communities(モア・ザン・ゲーム−日系アメリカ人コミュニティにおけるスポーツ)」展では、日系人を代表する自転車競技者として紹介された。自転車を自分で考案、作成し、競技に出ていた。全米チャンピオンのタイトルを5回も獲得している。だからJANMには特別な思いがあり、支援している。

日系人は第二次世界大戦後、根強い偏見などですぐにカリフォルニアへ戻れなかった。戦後しばらくして、昔住んでいた地域に戻った日系人も多かったが、今では日系人社会から離れた地域に移り住んで、米国人として多人種社会で胸を張って生活している三世や四世も多い。その中で、両親や祖父母が経験した第二次世界大戦中の苦い強制収容体験が空洞化したり、忘れ去られないようにと地道に伝承活動をしている。

 

© 2019 Makiko Nakasone

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