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ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々

リチャード・ミチオ・ムラカミさん

リチャード・ムラカミさん(写真:日刊サン)

リチャード・ムラカミさんの戦時体験は波乱に満ちていた。ムラカミさんは家族と共に収容所を転々とし、終戦までの間にツールレイク、ジェローム、ハートマウンテンの3か所に収容された。

第二次世界大戦が始まった時、リチャードさんは日系人の少ないカリフォルニア州レークウッドに住んでいた。真珠湾攻撃の翌日、白人の学友が、数日間学校を休んだ方がいいと助言してくれたという。家族と共に強制収容所に送られたリチャードさんは、その時初めて日系人しかいない環境に身を置くという経験をした。

ムラカミさんの父親は帰米だったが米国を信用し、半年もすれば家族と共に収容所から解放され、農業を始められるだろうと信じていた。

(政府から)ノースダコタ州の土地を提示されたが、耕作には向かない積雪の多い凍土で、農作物が育ったことのない土地だった。父親は、2年間一家の生活が保障されることを条件に土地を開拓するつもりだったが、米国政府はその申し出を拒否した。

失望した父は、広島に残してきた2人の息子の元に引き上げることを考えたが、母の「日本に戻ってどうやって生活していくの?」という激しい反対を受け、日本行きを断念した。忠誠心を問う質問には、「イエス イエス」と答えた。

日米開戦当時10歳だったリチャードさんは、収容所生活を経て精神的に強くなった。また、一世や二世の人々が体現していた“ガマン”という日本の耐え忍ぶ精神を学び、彼らを尊敬するようになった。

このような日系文化の精神性が、戦後の日系アメリカ人の成功につながったとリチャードさんは考えている。「父は農民でしたが、子供たちが農業を継ぐことを望みませんでした。大学に行き、安定した仕事に就いてほしいと思っていました。強制収容された私たちは、悲観的になり、落ちぶれてしまう可能性もありました。しかし、そうはなりませんでした。私たちはより良い人生を手に入れました」

さらにリチャードさんは、日系兵士で構成された第100歩兵大隊、第442連隊戦闘団、そして陸軍情報部の活躍が、戦後の日系人の社会的評価を高めたと語った。

ボランティア経験に関していえば、全米日系人博物館(以下JANM)が手がけた2回目の大規模展、「アメリカの強制収容所 −日系アメリカ人の体験を語り継ぐ−」は、自分たちの戦時体験を人々に伝える良い機会だった、とリチャードさんは考えている。

「この頃から博物館でボランティアをするようになりました。周りを見ると、博物館スタッフもボランティアも一生懸命に働いていて、こんなによく働く皆さんがいる場所なら、ボランティアをするにも良い環境に違いないと思いました」

リチャードさんは、1969年からオプティミスト・クラブ(国際奉仕クラブ)で精力的に活動し、退職後はコミュニティにどのように還元していくか考えていた。リチャードさんは、州政府で健康保険プランの承認や規制を行う部門の部長を務めていた。1994年、独自の視点を持つムラカミさんは、JANMガイドとして理想的な候補となった。

最近のリチャードさんは、JANMのイベントを撮影するカメラマンチームのとりまとめ役を担っている。「皆とても上手で、私も楽しんでいます」とリチャードさんは言う。

(写真提供:全米日系人博物館)

 

* 本稿は、 日刊サンの金丸智美氏がインタビューをし、そのインタビューを元に、ニットータイヤが出資し、羅府新報が発行した『Voices of the Volunteers: The Building Blocks of the Japanese American National Museum (ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々)』へエレン・エンドウ氏が執筆したものです。また、ディスカバーニッケイへの掲載にあたり、オリジナルの原稿を編集して転載させていただきました。

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© 2015 The Rafu Shimpo

california concentration camps docent janm Japanese American National Museum photographer Richard Murakami volunteers

このシリーズについて

このシリーズでは、ニットータイヤからの資金提供を受け『羅府新報』が出版した冊子「ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々 (Voices of the Volunteers: The Building Blocks of the Japanese American National Museum)」から、全米日系人博物館ボランティアの体験談をご紹介します。

数年前、ニット―タイヤはロサンゼルスの邦字新聞『日刊サン』と共同で全米日系人博物館(JANM)のボランティアをインタビューしました。2014年末、これらのインタビューを小冊子にまとめるべく、ニットータイヤから私たち『羅府新報』に声がかかり、私たちは喜んで引き受けることにしました。JANMインターン経験者の私は、ボランティアの重要性や彼らがいかに献身的に活動しているか、そしてその存在がどれほど日系人の歴史に人間性を与えているか、実感していました。

冊子の編集にあたり、私は体験談ひとつひとつを何度も読み返しました。それは夢に出てくるほどでした。彼らの体験談に夢中になるのは私だけではありません。読んだ人は皆彼らの体験にひきこまれ、その魅力に取りつかれました。これが体験者本人の生の声を聞く醍醐味です。JANMのガイドツアーに参加する来館者が、ボランティアガイドに一気に親近感を抱く感覚と似ています。ボランティアへの親近感がJANMの常設展『コモン・グラウンド』を生き生きとさせるのです。30年間、ボランティアが存在することで日系史は顔の見える歴史であり続けました。その間ボランティアはずっとコミュニティの物語を支えてきました。次は私たちが彼らの物語を支える番です。

以下の皆様の協力を得て、ミア・ナカジ・モニエが編集しました。ご協力いただいた皆様には、ここに厚く御礼申し上げます。(編集者 - クリス・コマイ;日本語編者 - マキ・ヒラノ、タカシ・イシハラ、大西良子;ボランティアリエゾン - リチャード・ムラカミ;インタビュー - 金丸智美 [日刊サン]、アリス・ハマ [日刊サン]、ミア・ナカジ・モニエ)

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