羅府新報

(らふしんぽう)

『羅府新報』は日系アメリカ人コミュニティ最大手の新聞です。1903年の創刊以来、本紙はロサンゼルスおよびその他の地域の日系に関わるニュースを日英両言語で分析し、報道してきました。『羅府新報』の購読、配達申し込み、オンラインニュースの登録についてはウェブサイトをご覧ください。

(2015年9月 更新)

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ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々

リチャード・ミチオ・ムラカミさん

リチャード・ムラカミさんの戦時体験は波乱に満ちていた。ムラカミさんは家族と共に収容所を転々とし、終戦までの間にツールレイク、ジェローム、ハートマウンテンの3か所に収容された。

第二次世界大戦が始まった時、リチャードさんは日系人の少ないカリフォルニア州レークウッドに住んでいた。真珠湾攻撃の翌日、白人の学友が、数日間学校を休んだ方がいいと助言してくれたという。家族と共に強制収容所に送られたリチャードさんは、その時初めて日系人しかいない環境に身を置くという経験をした。

ムラカミさんの父親は帰米だったが米国を信用し、半年もすれば家族と共に収容所から解放され、農業を始められるだろうと信じていた。

(政府から)ノースダコタ州の土地を提示されたが、耕作には向かない積雪の多い凍土で、農作物が育ったことのない土地だった。父親は、2年間一家の生活が保障されることを条件に土地を開拓するつもりだったが、米国政府はその申し出を拒否した。

失望した父は、広島に残してきた2人の息子の元に引き上げることを考えたが ...

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ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々

メイ・フジノさん

メイ・フジノさん(1933-2016)は、全米日系人博物館でボランティアとして過ごす時間を楽しんでいた。博物館では歴史や日本語の勉強に没頭し、少女時代を思い出すこともあった。メイさんの家族は、困難を極めた時代にも、いかなる状況に置かれようと最善をつくす術を持っていたという。

1933年カリフォルニア州サリナス生まれのメイさんは12人兄弟の長女で、「だから私は大将だった」と笑った。両親は共に広島にルーツを持ち、一世の父は10歳でアメリカに渡り、母親は帰米二世だった。両親は共にバイリンガルで、メイさんの母語は日本語だったため、日本語学校には通わなかった。「一世の子だから」とメイさん。

言語的な障壁はなかったが、一家は他の問題に直面していた。1913年の排日土地法により、外国生まれの一世は土地を購入することができなかった ...

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ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々

鈴木康之さん

「全米日系人博物館のボランティアガイドはおもしろい。日系アメリカ人の歴史のクラスを受講したが『マニュアル』はないので、いつも勉強しないといけない」

鈴木康之さんは、日本語で展示を案内する全米日系人博物館のボランティアガイドの一人だ。ガイドをするにあたり、日系二世による英語のボランティアガイドについてまわり、展示について話す内容を全部覚えたという。しかしそのままだと日本からの来館者には伝わりにくいため、日本人を案内するときは「その時の日本はこんな時代」などと日本史を並列して説明する。

1972年に渡米した康之さんは、近畿日本鉄道の米国子会社であるアメリカ近鉄興業の駐在員としてサンフランシスコ市の日本町再開発事業に携わったことがある。2009年に退職するまで日米を行き来しながらリトル東京の発展にも携わってきた。

康之さんは1943年、日本の敗戦色が濃くなった時代に大阪市内で生まれた。1945年の大阪大空襲で一家は焼け出され、奈良県の親戚宅に疎開した。配給通帳を持って近所の米屋に配給をもらいに行き、豆類や雑穀が混じる米を食べた。昼ご飯は、まずいふかし芋1本だけだったこともある ...

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ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々

ケネス・“ケン”・ハマムラさん

ハマムラさんは、長年に渡り全米日系人博物館(以下博物館)で幅広い役割を担い、活躍してきた。博物館への寄付者、スタッフ、そしてボランティアとして活動する中で、ハマムラさんは、日系人の物語や遺品を保存・共有し、次の世代へつないでいくことの大切さを認識するようになった。

ハマムラさんは博物館の使命に共感し、自身の家族史を見つめ直し、娘や孫たちに継承していきたいと考えている。帰米二世の両親を持つ日系三世のハマムラさんは既に退職し、家族史に関わるアーカイブ資料を掘り下げ、写真を収集し、家族の過去にゆかりのある場所を訪れるなどして長年に渡り調査や記録を続けている。

ハマムラさんのおじいさんは、1886年、ハワイ島ヒロの北部、オノメアのサトウキビ畑で3年の契約で働くため、21歳で広島を離れた。おじいさんが乗った大型船は ...

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ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々

メリー・カラツさん

「1993年に大規模な非営利団体の会長補佐を引退した後、私はボランティアとして第二の人生を歩み始めました」とメリー・カラツさんは言う。決断力と人間的な魅力を兼ね備える彼女は何年もの間、全米日系人博物館のような地域密着型の組織の間で大立者であった。

彼女は初め、お世話になり、他人に奉仕するとはどういうことかを教えてくれたある白人女性からインスピレーションを得た。「彼女の存在は私の人生に大きな影響を与えました」とメリーさんは言う。「私は子供のころ、彼女のようになりたいと思っていました」

28年間、彼女はアメリカ最大の非営利組織の一つYMCAで会長補佐として働いた。彼女の職務経験は、彼女が博物館の初期の支持者となり、ボランティアたちのリーダー役を担ううえで役に立ったという。彼女はベストセラーとなった料理本「Cooking with Love」の制作委員長を務め、イベント表彰委員会を通して企画したオール・ミュージアム ...

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