ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/933/

記者の責任 (英語)

(英語)収容所におけるフェンスの有無は、重大な問題でした。収容者がフェンスに囲まれていることが、集合センターでの人々の苛立ちの原因の1つだったのです。日系人がハート・マウンテン収容所に送られたばかりのころ、収容所にフェンスはありませんでした。フェンスを建てる必要性はなかったのです。なぜならその土地は、ヤマヨモギの中を20マイル歩き続けても、どこにもたどり着かないような場所でした。人々が収容所の生活に慣れると、軍は有刺鉄線のフェンスで敷地を囲み、見張り塔を建てることにしました。そして収容所の日系指導者たちは、フェンスを取り外すよう請願書への署名活動を行ったと記憶しています。そして集まった署名を、WRA(戦時転住局)に送りました。

この出来事は収容所新聞(ハート・マウンテン・センチネル)で取り上げなければならない重大なニュースでした。我々はそのニュースを、新聞の一面トップの見出しにしました。同時に私たち記者には、その記事が収容者の怒りを助長し、何かの事件を引き起こすことのないよう配慮し、記事を書く責任もありました。もし事件が起これば、かなり危険な事態に陥っていたでしょう。ですから私たちには、挑発的ではない内容の記事を書く責任がありました。そのニュースを中立的に扱いながら、1面記事のトップに載せることで、私たちはその責任を果たすことが出来たと考えています。客観的に書かれた記事の掲載により、結果的に読者満足を得ることができたのです。


フェンス ハートマウンテン ハートマウンテン強制収容所 投獄 監禁 新聞 タワー アメリカ合衆国 監視塔 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所 ワイオミング州

日付: 2001年7月13日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: アリス・イトウ、ダリル・マエダ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

ビル・ホソカワ氏は、1915年ワシントン州シアトルに生まれました。ホソカワ氏は若くしてジャーナリズムに関心を持つようになりましたが、ワシントン大学在籍中、担当教授は彼に、ジャーナリズム専攻をやめるよう促しました。当時のアメリカには、日系人を雇ってくれる新聞社はないだろう、ということがその理由でした。ホソカワ氏は、その助言を拒否しましたが、1937年の卒業と同時に、教授の言葉が正しかったことを悟りました。

1938年、ホソカワ氏は英字新聞の立ち上げに携わるため、シンガポールへ赴きました。その後彼は中国の上海に移り住み、アメリカの雑誌社で働きました。彼がシアトルへ戻ったのは1941年、真珠湾攻撃の5週間前でした。

ホソカワ氏は、妻と当時まだ乳飲み子だった息子と共にワイオミング州のハート・マウンテン強制収容所に収容されました。彼は収容所新聞、「ハート・マウンテン・センチネル」の編集者となりましたが、後にアイオワ州デモインの新聞社に雇われることになり、収容所から釈放されます。1946年、ホソカワ氏はコロラドに移り住み、その後38年に亘りデンバー・ポスト紙の編集者を務めました。

ホソカワ氏は強制収容の体験をもとに複数の本を出版し、パシフィック・シチズン紙では、差別を題材としたコラムを50年以上担当しました。ホソカワ氏は2007年に92歳で亡くなりました。 (2008年4月5日)

Cedrick Shimo
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セドリック・シモ

ルーズベルトが日本からの攻撃を望んでいたことを知って(英語)

第1800工兵部隊の一員。戦後本田の輸出部にて、アメリカと日本の貿易を促進(1919-2020年)

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FBIへの連行を予期していた両親(英語)

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第525アメリカ陸軍需品科(英語)

第1800工兵部隊の一員。戦後本田の輸出部にて、アメリカと日本の貿易を促進(1919-2020年)

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フォート・マクラレンの兵士たち(英語)

第1800工兵部隊の一員。戦後本田の輸出部にて、アメリカと日本の貿易を促進(1919-2020年)

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Jimmy Murakami
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ジミー・ムラカミ

収容所で姉を失くす(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

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William Hohri
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ウィリアム・ホウリ

ターミナルアイランドの人たちと収容所へ(英語)

政治活動家(1927-2010)

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William Hohri
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ウィリアム・ホウリ

収容所の屋外便所とシャワー(英語)

政治活動家(1927-2010)

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William Hohri
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ウィリアム・ホウリ

15歳の当時、冒険のように思えた収容所(英語)

政治活動家(1927-2010)

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Sumiko Kozawa
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スミコ・コザワ

戦争開始前、日本から米国へ (英語)

花屋 (1916-2016年)

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Sumiko Kozawa
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スミコ・コザワ

日系アメリカ人の避難 (英語)

花屋 (1916-2016年)

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Sumiko Kozawa
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スミコ・コザワ

収容所の病院で働く (英語)

花屋 (1916-2016年)

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Sumiko Kozawa
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スミコ・コザワ

戦後の差別の経験 (英語)

花屋 (1916-2016年)

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Mike Murase
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マイク・ムラセ

コミュニティ新聞としての「ギドラ」(英語)

コミュニティ・アクティビスト

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Rose Ochi
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強制収容、国外追放、弁護士 (英語)

日系アメリカ人弁護士・公民権運動アクティビスト(1938-2020年)

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ジミー・ムラカミ

トゥーリーレイクへ(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

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