ディスカバー・ニッケイ

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インタビュー

ゴードン・ヒラバヤシ

大統領令9066の合憲性について抗議(1918-2012)

夜間外出禁止令を問う (英語)

(英語) ある日、家路を急いでいた時のことです。「ゴードン、8時まで後5分しかないよ。」という仲間の言葉と共に、私は自分の持ち物を掴み、走り出しました。家までは走れば5分の距離でした。そしてその時です。前から考えておくべきだったある疑問が、ふと私の中に沸いたのです。まだ仕事が残っているというのに、なぜこんなに急いで家に帰らなければならないんだろう?私は自分自身に対し、問題提起する必要があったのです。この問いに答えられないのは、わかっていました。

答えを出すために、私は(夜間外出)禁止令に従わない選択をしなければならなりませんでした。私はきびすを返し、図書館に戻りました。仲間に、「何かあったの?」と聞かれたので、「みんなにやることがあるように、僕にもやることがある。みんながここで仕事をするなら、僕も残って一緒に仕事をすることにした。そしてみんなが帰るときに僕も帰るよ。」誰も私を警察に引き渡そうとはしませんでした。そのことについて問題意識を持った以上、私はもはや禁止令に従うことはできなかったのです。従い続けることは、自分に嘘をつくことでした。私が夜間外出禁止令の対象になった唯一の理由は、私が日系人だから、というただそれだけのことなのです。実際、同僚の中にはアメリカ市民ではないカナダ人もいたけれど、彼らは家に帰らなくてもよかったのです。ですから夜間禁止令は、私には到底受け入れられませんでした。


門限 差別 対人関係 人種差別

日付: 1999年4月26日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: トム・イケダ、アリス・イトウ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project

語り手のプロフィール

ゴードン・ヒラバヤシ氏は、1918年、ワシントン州シアトルに生まれました。ワシントン大学に在籍していたヒラバヤシ氏は、YMCAの活動に積極的に参加し、社会貢献活動と平和主義の信奉者でした。第二次世界大戦が勃発し、米国政府は日系人への立ち退き命令を下しましたが、ヒラバヤシ氏は個人的信条と大統領令の合憲性を問う立場から、そのような政府のやり方に対し、意義を申し立てました。

ヒラバヤシ氏は、夜間外出禁止令に違反した件で自らFBIに出頭し、90日間の刑に処せられました。ACLU(アメリカ自由人権協会: American Civil Liberties Union)の協力により、ヒラバヤシ氏の裁判「ヒラバヤシ対アメリカ合衆国」は、最高裁判所まで持ち込まれました。しかしながら、1943年、裁判所は満場一致でヒラバヤシ氏に有罪判決を言い渡しました。

有罪判決から40数年後、ピーター・アイロン氏が発見した資料には、政府が1942年に行った違法行為が明記されていました。そしてその違法行為は、当時のヒラバヤシ氏の裁判に直接影響を及ぼしていたのです。この新事実をもとに、1987年、ヒラバヤシ氏の有罪判決は覆され、長期に渡って阻まれていた正義が取り戻されました。

2012年1月2日、93歳で亡くなりました。(2012年1月4日)

Young O. Kim
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ヨンオク・キム

基本訓練 (英語)

第二次世界大戦・朝鮮戦争の退役軍人 (1919 - 2006)

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Sakaye Shigekawa
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サカエ・シゲカワ

強制収容以前に経験したトラウマ (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

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Sakaye Shigekawa
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サカエ・シゲカワ

「みんな、盲従した」 (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

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Frances Midori Tashiro Kaji
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Sumiko Kozawa
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スミコ・コザワ

戦後の差別の経験 (英語)

花屋 (1916-2016年)

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A. Wallace Tashima
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A. ウォーレス・タシマ

日系アメリカ人弁護士として拒絶される(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

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George Takei
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ジョージ・タケイ

アジア系に対するステレオタイプ(英語)

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Terumi Hisamatsu Calloway
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キャロウェイ・久松 照美

サンフランシスコで受けた差別

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Paulo Issamu Hirano
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パウロ・イサム・ヒラノ

日本語の理解を深めるにつれ、日本社会に受け入れられる

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

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Tom Yuki
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トム・ユキ

日系人の帰還を歓迎しなかったサリナス(英語)

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Takayo Fischer
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タカヨ・フィッシャー

戦後の米国で人種的に自分が何者なのか混乱(英語)

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Mia Yamamoto
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ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

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ミア・ヤマモト

人種差別が彼女を初のトランスジェンダーの弁護士に育てた

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

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