インタビュー
幼年期の記憶:日本人1、日本人2 (スペイン語)
(スペイン語) 私はリマ北部にあるサンニコラス農場地区で生まれました。その辺には他の日本人移住地もありました。例えば、カニェテとか、後はちょっと記憶にないのですが、多分トゥリヒージョだったかな、いやチクラージョでしたね、記憶が確かだと。サンニコラス農場のオーナーは当然ペルー人で、当時安い労働力がたくさん必要だったのです。
今でも覚えているんですが、私としてはちょっと笑ってしまうんですが、まだ子供だった頃なんですけど、土曜日は給料日で、労働者達は支払の場所に集まって給料を受け取るんです。先にペルー人達に支払われるのですが、その際、一人一人の名前が呼ばれるのです。「ルイス」、「コジャンテス」ってね。だけど、日本人の順番がくると、名前ではなく番号なのです。「ハポネス(日本人)第1号」、「第2号」と。子供だった私はそれが面白くてゲラゲラ笑っていました。ペルー人にとって、日本人の名前、例えばシンキ、ヒトツイシとかは発音が難しく、そう呼んでいたんだと思います。もちろん書くことは(ローマ字であっても)もっと面倒だったのでしょう。不思議に思いつつ、おもしろいと思っていたのです。子供心ながら。