ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/836/

大戦中カナダ政府の許可を持って出版した邦字新聞 (英語)

(英語)トム・ショウヤマらがちょうどその頃運営していた新聞、ザ・ニュー・カナディアンが、真珠湾攻撃の直後、12月に発行が停止されました。でも、その後、政府は彼らのところへやって来て、情報がほしいのでそのことを日本人に知らせたい、と言ってきたんです。「その新聞を通して、日系人に対し(名前を)登録するよう通知してほしい」というんです。それは1月のことで、日本人には登録の義務がある、と政府は言ったそうです。トムは、「発行する新聞がなければできません」と伝え、「それ以前に記事を書かせてもらえなければできませんよ」と付け加えたんです。政府にとって日本語は外国語でしかなく、暗号だと思っていたので、トムが英日両方で記事を書くということ自体、好ましく思っていなかったんですね。それで政府は、「誰の権限で命じられているのかは分からなくても、とにかく登録を呼びかけることはできるだろう」と言うので彼は、「情報をもらえないことには書けません。単に登録するように、という声明を載せることはできません。なぜそうする必要があるのか理由も知らせなければいけません」と言いました。実際のところ、政府は戦時措置法に基づいてこの通知を出そうとしていたのです。いずれにせよ彼らは、「分かった。新聞再開の許可を出そう」と言い、政府は再びトムが新聞を発行することを認めたのです。 


カナダ 新聞 The New Canadian (新聞) 第二次世界大戦

日付: 2006年7月25・26日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: トム・イケダ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

ヘンリー・シミズ氏は、1928年ブリティッシュ・コロンビア州プリンス・ルパートで生まれました。第二次大戦中シミズ氏は、ニュー・デンバーに強制収容され、終戦後、現在の居住地であるエドモントンへ移り住みました。医学部を卒業したシミズ氏は、整形外科医となり、その後、医療関係の数々の要職を務めました。また、1989年から2002年には、日系カナダ人リドレス基金の会長を務めました。画家でもあるシミズ氏は、強制収容所の体験を題材にした数多くの作品を手掛け、それらの作品は、様々な場所で展示されています。シミズ氏のコミュニティへの貢献は高い評価を受け、1999年全カナダ日系人協会より表彰を受けました。また、2004年には、アルバータ大学の卒業生に贈られる賞を受賞し、同年、カナダ勲章を受勲しました。(2006年7月6日)

ジミー・ムラカミ

初めての映画(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

ジミー・ムラカミ

カモメ取り(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

ウィリー・イトウ

楽天的だった父(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

ウィリー・イトウ

タンフォラン集合センター(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

ウィリー・イトウ

トパーズでブローチを作る父(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

二宮 正人

戦時中に厳しく規制された外国語教育

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)