(英語)スティーブストンがどこかご存知かどうかわかりませんが、ちょうどバンクーバーの南側に位置していて、当時は5、6千人、または4、5千人が住む大きな町だったんです。人口のほとんどは日本人で、かなり大きい日系コミュニティがありました。日本人はその土地で庭園を造ったり、その土地を特徴付けるようなことをやっていたんですね。日本人のそういった活動はよく知られていて、今でも、日本人の名前が付けられた道がたくさんあるんです。 スティーブストン地域には日本人の漁師が大勢住んでいました。サーモン漁やサーモン製品に至っては全国1位で、サーモンはその土地の産業の中でも1位を誇る事業でした。そしてそのサーモン漁に携わっていた漁師のほとんどが日本人だったんです。ある意味、彼らがマイノリティであったことは有利だったと思う一方、働きすぎ、という意味で彼らはずるをしていたという風に見られていたんですね。 彼らが漁に出ると、全てを獲りつくすまで何時間でも漁をし、魚を持ち帰るんです。かつて「ハイ・ボート(高くなった船)」という言葉があって、大量のサーモンを乗せた漁師の船をハイ・ボートと呼ぶんですね。(大量のサーモンを獲れば)船(ボート)は水に深く沈むので、「ロウ・ボート(低くなった船)」だろうと思うかもしれませんが、当時はそういう船を「ハイ・ボート」と呼んでいたんです。そして毎年「だれそれがハイ・ボートだったらしい。」と、話題に上って、それはいつも日本人の漁師だったんですね。だから彼らの漁師としての腕は、次第に敵意の対象にもなった訳です。
日付: 2006年7月25・26日
場所: 米国、ワシントン州
Interviewer: トム・イケダ
Contributed by: Denshō: The Japanese American Legacy Project.