インタビュー
和太鼓へのアメリカの影響(英語)
(英語) 僕らは鼓童(こどう)が鬼太鼓座(おんでこざ)だった時代からずっと知ってるんです。鬼太鼓座が初めてアメリカに来た時、彼らには誰も知り合いがいなくて、どこからか僕らのことを聞きつけて、ここで練習してたんです。なんだか変な感じでしたよ。彼らはハリウッドの安ホテルに泊まっていて、ここまで走って来るんですよ。リハーサルをやって、そしてまた走って帰って行って。劇場での公演にも走って行ってましたからね。それで僕らは、「あんた達は一体何を考えてるんだ?」なんて言ってましたけどね。
でもまあ、とにかく当時も、その後彼らが鼓童というグループになってからも、彼らとはすごく親しい付き合いがあるんです。 鼓童がこっちに来る時は、みんなで持ち寄りパーティーをするんです。でも彼らは僕らのグループとは正反対なんです。1度彼らに「僕らの太鼓は真面目だけど、君らのは遊びの太鼓だね」と言われたことがあったんです。僕はそれを褒め言葉と受け取ったし、彼らとしても僕らのようなアメリカの太鼓と交流することによって、一座への女性の参加をようやく承諾するようになったんじゃないか、とも思うんです。当時そんなことは日本では考えられないことでしたからね。日本では女性は太鼓を叩けなったんです。でもここでは圧倒的に女性が多いんですよ。何の制約もないので、どのグループもメンバーのほとんどは女性です。そしてそのことが鼓童の人たちに影響や衝撃を与えたんだと思いますよ。
それから彼らは演奏中に笑顔を見せるようにもなったんですが、日本のパフォーミング・アーツにはそれもないことでしたよね。今までのアメリカからの影響もあって、彼らはより良くなってきてると思います。
日付: 2004年12月3日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター