ディスカバー・ニッケイ

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インタビュー

ローズ・クツカケ

第二次大戦中にスロカンに収容。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー (1918-2004)

第2次大戦中の経験(英語)

(英語)I:立ち退きにあった後は、ヘースティングス・パークに連れて行かれたのですか?

ヘースティングス・パークには行ってないわ。

I:へースティングス・パークには行ってないのですか?

一度も行ったことがないですよ。

I:では、どこへ行ったのですか?

家からゴーストタウンに直行でした。ええと、あれはね、どこだったかしら?スロカンだったわね。そしてスロカンから...。ええと、とにかく違うんですよ、私達一家はバンクーバーに住むところがあったんです。たくさんの人達がバンクーバーに来たけど、彼らには住む家がなくて、それでその人達はへースティングス・パークに連れて行かれたの。でもね、私達には次に住める家が無かったから、もともと居た所に留まったんです。まあ良い場所ではなかったですけどね。

I:という事は、初めはそのまま家に居て、そしてそこから直接スロカンへ行ったんですか?

そうです。(それまでは)パウエル通りの下宿屋に部屋を借りていました。

I:それで、スロカンに居た時は何の仕事をしていたのですか?

また別のセールスの仕事ですよ。そこにもお店は必要でしたからね。

I:お店で働いていたのですね。

そう。お店で。

I:収容所のことはどうやって知ったのですか?

え?

I:収容所についてです。住む場所とか食べるものは?

収容所には強制的に連れて行かれたんですよ。そしてその中で住む場所をあてがわれたのよ。

I:ご家族も一緒に?

そうです。

I:お父さんとお母さんも一緒に?

母とね。そう。

I:お父さんも一緒に行きましたか?

ええ。その時はね、まだ若い父親達はみんな強制送還されたんです。一緒に行ったのは、私の年老いた...実はね、父親と一緒ではなかったんです。一緒に行ったのは、義理の兄で、えーと、あれは誰だったかしら?

女性の声:お兄さんと一緒だったでしょう?

え?

女性の声:お兄さんと一緒だったんじゃなかった?

I:お兄さんと言うのは…?

いいえ。私の兄はもう随分年が上で、その収容所に行くことはできなかったの。行くことができたのは、60を過ぎたような人か、まだ若い子供だけだったのよ。そう。

* “I”はインタビュワー(ピーター・ワカヤマ)


ブリティッシュコロンビア州 カナダ スローカン・シティの強制収容所 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2004年12月

場所: カナダ

インタビュアー: ピーター・ワカヤマ

提供: 世代-日系カナダ人レガシープロジェクト日系文化会館

語り手のプロフィール

ローズ・ミエコ・サトウは1918年5月28日バンクーバーで下宿宿を経営していた両親のもとに生まれました。公立学校で学ぶかたわら、日本語学校へも通い、戦前は日本のデパートの店員として働いていました。第二次大戦が勃発し、ブリティッシュコロンビア州の沿岸から日本人の立ち退きが始まると、ローズは家族とともに内陸部のスロカンへ収容されました。1948年にトロントへ転住し、服飾業界にてさまざまな職に就きました。1953年にケン・クツカケ氏と結婚し、約50年にわたる結婚生活を送りました。クツカケ氏は戦前ブリティッシュコロンビア州で有名だったアサヒ野球チームのメンバーでした。クツカケ夫妻は日系文化会館のアクティブメンバーであり、日系カナダ人コミュニティーにも貢献しています。2004年トロントで亡くなりました。

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