ディスカバー・ニッケイ

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日系人の帰還を歓迎しなかったサリナス(英語)

(英語)政治的に言って、サリナスはオクラホマの人たちに乗っ取られていました。オクラホマ出身の、乾燥平原地帯からやってきた人たちがサリナスの農業も監督的立場も支配していました。当然彼らは、政治的な観点からも日系人には戻ってきてほしくなかったんです。競争が起こりますから。結局サリナスは、長い間日系人の帰還を歓迎しませんでした。

実際父の会社は、「我々、サリナス・バレー・ベジタブル・エクスチャンジ――父が所有していた会社の名前です――の従業員は、あなたがサリナスに帰還しないことを(求めます)」という手紙を父に送ってきました。結局私たちはサリナスには戻りませんでした。それがロス・ガトスに移住した理由です。


カリフォルニア州 戦後 人種差別 サリナス アメリカ合衆国 第二次世界大戦

日付: 2018年3月22日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1935年6月29日、カリフォルニア州サリナス生まれ。父親は戦前から農業ビジネスを共同経営し、戦時中アリゾナ州ポストンに強制収容されていた間も電話や電報を利用し、ビジネスパートナーに助けられながらビジネスを続けた。ポストンから戻った一家はカリフォルニア州ロス・ガトスに移住し、農業ビジネスを継続した。トムはサンタクララ大学に進学し、米軍に入隊後、軍需品担当将校としてフランスに駐留した。ユキ・ファームのマネージメントパートナーの仕事をトムに継がせるつもりだった父親は亡くなり、その時トムは企業の契約管理者の仕事をしていた。トムは、全米日系人博物館での理事など、これまで多くの団体で役員を務めてきた。(2018年12月)

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