ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1618/

野菜の栽培と出荷の共同会社を立ち上げた父(英語)

(英語)土地を所有していなければ、どう頑張っても地主と作物を分け合い、地代を作物で払うことしかできません。確かサリナスでは、スイス人のジアタニーニ家の小作人をしていたと思います。彼らはスイスからの移民でしたが、土地を所有していました。

父は、6、7人の日系一世と総勢約9人で栽培と出荷を行う農業ビジネスの共同経営を始めました。栽培だけでなく出荷も手がけなければ、成功することも財を築くこともできないと父は感じていたのです。そのために父は、初等教育も修了できませんでした。野菜を育て、出荷するためでした。


農業 農業 (farming) 小作制度

日付: 2018年3月22日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1935年6月29日、カリフォルニア州サリナス生まれ。父親は戦前から農業ビジネスを共同経営し、戦時中アリゾナ州ポストンに強制収容されていた間も電話や電報を利用し、ビジネスパートナーに助けられながらビジネスを続けた。ポストンから戻った一家はカリフォルニア州ロス・ガトスに移住し、農業ビジネスを継続した。トムはサンタクララ大学に進学し、米軍に入隊後、軍需品担当将校としてフランスに駐留した。ユキ・ファームのマネージメントパートナーの仕事をトムに継がせるつもりだった父親は亡くなり、その時トムは企業の契約管理者の仕事をしていた。トムは、全米日系人博物館での理事など、これまで多くの団体で役員を務めてきた。(2018年12月)

笠原ハルオ

日本語とハワイ語によるハワイの耕地での伝統的な労働歌(ほれほれ節)

ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

フットボールのトレーニングのために100ポンドの芝を担いで山を越える (英語)

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

家計を助けるために砂糖きび畑で働いた10代の頃の経験 (英語)

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

ミツオ・イトウ

子供の頃の日常生活(英語)

日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)

ミツオ・イトウ

アルベルタのテンサイ農場(英語)

日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)

アリス・スミダ

テンサイ農場で学んだ農作業(英語)

アメリカ最大のグラジオラス球根農園の設立者 (1914-2018)

ビル・ハシズメ

父による農業経営の成功(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

ビル・ハシズメ

カナダの呼び寄せシステム(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

フランク・ソギ

5歳で働き始めて(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

マーガレット・オダ

ワイレア製糖工場をはじめた父の役割(英語)

(1925 - 2018)ハワイ出身の教育者、二世

西村 俊治

ブラジル社会に恩返し-不足のテクニコを育成

JACTOグループ創設者 (1911-2010)

西村 俊治

農工学校を通じてノウハウを次世代へ

JACTOグループ創設者 (1911-2010)

エミ・笠松

日系人のパラグアイ農業へ貢献 (スペイン語)

二世日系パラグアイ人、研究者

トシオ・イナハラ

大学進学を勧められて (英語)

血管外科医(1921年生)