ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1557/

日本の日系コミュニティの将来(ポルトガル語)

(ポルトガル語)ブラジル人にとって、ここは将来期待できる場所だと思う。ブラジルの食品、レストラン、何でも手に入るので、ブラジル人は不自由しない。私は仕事で、あちこち歩き回りながら大勢の人と話しているけど、ほとんどの日系人は日本に残るつもりだね。ブラジルの最近の危機はね・・・大変だった。だから、ブラジルに戻って自分の商売を持とうと言うと、みな不安になるの。「日本で長い間頑張ってきて、向こうで商売を始めて、突然、不景気になったら、せっかくの仕事がダメになる」って。結局、帰国をあきらめるしかない。日本だったら、景気が悪くなっても、すぐに立ち直るのは確かだからね。だから、ここではブラジル人も他の外国人も安全に暮らせるんだよ。


ブラジル 群馬県 日本 日系ブラジル人 在日日系ブラジル人 大泉

日付: 2016年10月19日

場所: 日本、群馬県

インタビュアー: 小嶋 茂

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

アントニオ・シンキチ・シコタは1962年9月12日サンパウロ州カンピナス市に日本生まれの両親の元生まれた。友人に誘われ、来日した。工場で働き始め、日本の暮らしにすぐに馴染んだので日本に居ることにした。ブラジル商品を移動販売する会社を立ち上げ、現在は群馬県大泉町に住んでいる。移動販売では、いろいろな商品を、特に日系人の客に直接販売している。大泉町の暮らしが気に入っている。(2018年2月)

マーガレット・ナルミ

ドジャースがMLBにもたらした国際化の波

NHKコスモメディアアメリカ プロデューサー

エーシー・コオロギ

ウォルター・オマリーの哲学(英語)

ロサンゼルス・ドジャース元アジア部門部長

二宮 正人

両親がブラジル移住を決めたきっかけ

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

二宮 正人

初期の日本人移民の職業

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

二宮 正人

閉鎖的な日本人コミュニティ

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

二宮 正人

勝ち組・負け組

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

二宮 正人

移住当初も若干残っていた勝ち組

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

二宮 正人

日本政府の日系人に対する誤った思い込み

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

ルイス・ヤマダ

日系人としての誇り(スペイン語)

二世日系アルゼンチン人 (1929年生)

レイコ・T・サカタ

養子縁組の物語

(1939年生まれ) 戦時中に家族とともに自発的にユタ州ソルトレイクシティに移住した実業家。

セリア・オオイ

日系ブラジル人イメージに対する日本の影響 (ポルトガル語)

ブラジル日本移民史料館館長

セリア・オオイ

日系ブラジル人アイデンティティの変化 (ポルトガル語)

ブラジル日本移民史料館館長

ヘンリー・須藤

日本での学校生活

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

ヘンリー・須藤

アイデンティティ

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

天野美代子

天野芳太郎の日本でのビジネス

天野博物館館長 (1929年生)