ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1442/

戦時転住局(WRA)写真班に参加(英語)

(英語)初めは収容所の病院で雑用係りとして少し働いていました。X線検査部門に空きができ、病院の各部署で後任を募っていました。僕はこの仕事であれば少しは写真と関われるかもしれないと思いました。採用され、レントゲン写真の撮り方を覚えました。ここでは半年くらい働いたと思います。

この頃、僕は『ハートマウンテン・センチネル』という収容所新聞を発行している人たちと仲良くなりました。その中の1人がビル・ホソカワで、新聞の責任者だったヴォン・マーコという人もいました。僕はここに少しだけ出入りしていました。

ある日、WRAカメラマンのトム・パーカーとチャーリー・メースがハートマウンテンに来ました。2人は収容所各地を撮影して回っていたのです。そしてデンバーの現像所のラボで現像技師ができる人を探しているとヴォン・マーコに伝えました。僕が採用されることになり、ハートマウンテンからWRAの現像所のあるデンバーに移りました。WRAの国内唯一の現像所は、ワシントンDCではなくデンバーにあったのです。僕は現像技師として働くことになりました。


ハートマウンテン ハートマウンテン強制収容所 写真術 アメリカ合衆国 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所 ワイオミング州

日付: 2009年12月3日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ヒカル・カール・イワサキ氏(1923年生)はカリフォルニア州サンノゼに育ち、高校時代には学校新聞や卒業アルバムの制作に携わり、写真への興味を深めました。1941年12月7日の日本による真珠湾攻撃に続き、2月19日のフランクリン・ルーズベルト大統領による大統領令9066の発令を受け、イワサキ家はサンタ・アニタ集合センターに送られました。その後、一家はワイオミング州のハートマウンテン強制収容所に収容され、そこではカメラの所有は禁止されました。イワサキ氏が収容所内の病院でレントゲン写真の撮影技師の仕事に就くと、彼の能力は収容所新聞のトップの目に止まり、コロラド州デンバーにある戦時転住局(WRA)写真班の現像技師として働くことを勧められました。その後1年もしないうちにイワサキ氏はWRA専属カメラマンとして国内を自由に飛び回るようになり、何百人もの日系アメリカ人を撮影しました。彼が撮影したのは、収容所を出て米国各地に再定住しようとしていた人々でした。戦後、イワサキ氏はカメラマンとしての長いキャリアの一歩を踏み出し、『ライフ』、『タイム』、『スポーツ・イラストレイテッド』、『ピープル』他、国内の多くの雑誌社で働きました。

イワサキ氏は、2016年9月、93歳で亡くなりました。(2016年9月)

ヘンリー・シミズ

カナダ政府による日本送還への圧力 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

ベナンシオ・シンキ

同胞の援助と協力 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

日本語学校の閉鎖と日本人の強制送還 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ジョージ・アベ

出生地のもつ意義に気づいて (英語)

太鼓・尺八奏者(1944生)

ビル・ホソカワ

記者の責任 (英語)

ジャーナリスト (1915 - 2007年)

チエ・トミヒロ

話すことを阻んだ恥の意識 (日本語)

JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長

チエ・トミヒロ

波風を立てるな (日本語)

JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長

ジョージ・ヨシダ

それでも、日本人 (英語)

音楽家 (1922年)

クリフォード・ウエダ

兵役志願(英語)

政治活動家 (1917 - 2004)

ダニエル・K・イノウエ

真珠湾攻撃の記憶 (英語)

ハワイ州上院議員 (1924-2012)

ダニエル・K・イノウエ

FBIとラジオ (英語)

ハワイ州上院議員 (1924-2012)

ダニエル・K・イノウエ

父からの言葉 (英語)

ハワイ州上院議員 (1924-2012)

フランク・エミ

国家への忠義に関する質問 (英語)

徴兵忌避者。ハート・マウンテンのフェア・プレイコミティのひとり(1916-2010)

フランク・エミ

公平委員会 (英語)

徴兵忌避者。ハート・マウンテンのフェア・プレイコミティのひとり(1916-2010)

フランク・エミ

収容所の中での意思表示 (英語)

徴兵忌避者。ハート・マウンテンのフェア・プレイコミティのひとり(1916-2010)