ディスカバー・ニッケイ

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徴兵忌避の公判(英語)

(英語) 私たち(公平委員会幹部)の裁判が始まる前に、63名の徴兵拒否者全員への公判がありました。公判中、「おい、ジャップの小僧ども」という判事の呼びかけを聞いた人たちは、この判事では公正な裁きはとても受けられないと思ったそうです。実際彼らはその判事によって有罪となり、連邦刑務所で3年の刑を言い渡されました。裁判が行われていた間、大勢の記者が公判を傍聴に来ていました。ワイオミング州で開かれた裁判の中で、それはずいぶん規模の大きいものでした。徴兵裁判としては、合衆国で最も大規模な裁判となったのです。

記者たちは徴兵拒否者に対してかなり同情的でした。ワイオミング・イブニング・ニュースペーパーには、「もし自分が収容者の立場だったら断じて入隊することはないだろう。」という記者の発言が引用されていました。私たちはこういったニュースの全てを聞いていたので、自分たちの裁判ではより有利で公平な審理を受けられるのではないか、と期待しました。そんな訳で私たちは、陪審裁判を選んだのです。 しかしながら、結果は同じことでした。有罪が宣告され、4名がレヴンワースの刑務所に4年間送られました。3名には懲役2年が言い渡されましたが、その2年の懲役は、前件で受けた懲役3年の中に含まれるという形がとられました。そしてアメリカ市民ではなかった日本語通訳者は、懲役2年の判決を受けました。


徴兵拒否者 ハートマウンテン ハートマウンテン強制収容所 ハートマウンテン・フェアプレイ委員会 抵抗 抵抗者 アメリカ合衆国 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所 ワイオミング州

日付: 2006年5月9日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: リサ・イタガキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

フランク・エミ氏は、1916年9月23日、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれました。彼が家族と共に営んできたビジネスは、戦争により廃業に追い込まれ、エミ氏と妻、2人の子供はハートマウンテン強制収容所に送られました。

エミ氏は、多くの人々と共に日系アメリカ人強制収容の合憲性について声高に問いました。また、ハートマウンテン公平委員会の立ち上げに貢献し、徴兵拒否運動を起こし、政府が日系人に対して取った措置に抗議しました。当時、エミ氏には子供がいたため、徴兵対象者ではありませんでした。

公平委員会は、日系人がアメリカ市民権を取り戻し、家族が収容所から解放されれば、喜んで兵役を受け入れると論じました。合衆国政府は、エミ氏と他6名のリーダーを徴兵忌避の共謀罪で訴えました。エミ氏は、18か月投獄され、他86人は裁判を経て徴兵拒否の罪で投獄されました。

戦後、エミ氏や他の徴兵拒否者は、日系人リーダーや退役軍人からつまはじきにされていました。その扱いは、戦後40年経ち、賠償運動が高まり、不正に対して毅然と立ち向かった公平委員会への汚名が晴らされるまで続きました。

フランク・エミ氏は、2010年12月、94歳で亡くなりました。(2010年12月)

ウィリー・イトウ

トパーズでブローチを作る父(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

二宮 正人

戦時中に厳しく規制された外国語教育

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)