ボイルハイツにある敬老引退者ホームでこの春、ちょっと珍しいクラスが開かれました。同ホームでは、引退した日系人らが余生を有意義に楽しく過ごせるよう、各種の習い事から体操までさまざまなクラスを設けているのですが、この春開かれたのは日英両語による文章教室で、指導したのは、羅府新報の元英語部編集長、現在は作家として活躍している平原直美さんです。
私がアメリカに来てから、この5月で丸30年になりました。すでに、日本で過ごした年月よりもアメリカでの日々の方が長くなっています。自分が日本人なのか、それとも日系人なのか、その辺の自覚が年々怪しくなってきていますが、それは別に今始まったわけでもありません。山城正雄さんの「帰米二世―解体していく『日本人』」(五月書房)を最初に読んだころは、すでにそうした、いわゆる「アイデンティティー」というものの揺れが生じていたように思います。
その日、コンサート会場であるサンペドロの劇場に向けて車を走らせながら、一体どのようなショーが私を待ち受けているか、一抹の不安と期待が私の心の中に入り交じっていました。「民謡ステーション」という小杉真リサさん率いるグループによる「フュージョン民謡」です。DVDで一度、そのさわりを見たことはありましたが、ライブのコンサートは初めて。正直なところ、民謡のフュージョンはちょっと難しいのでは、と感じていたのは確かでした。
Next year, it will have been 95 years since the Japanese Children’s Home of Southern California, called “Shonien,” was built in Los Angeles. Five years from now, it will be one hundred. Even though the facility was closed in 1963, some efforts to preserve its history have started. One of ...
日系四世のジャズ・ミュージシャン、グレン・ホリウチさんのアルバムを、このところ何度も立て続けに聴いていました。先月、ホリウチさんと演奏活動を共にしていたリリアン・ナカノさんについて書いたのがきっかけです。
音楽である種の心情を伝えようとする時、アバンギャルドが最もふさわしい形態ではないかと思われることがあります。例えば、第二次大戦中の日系人強制収容にまつわる心情。ジャズ曲「ポストン・ソナタ」です。
初めてこの人と会ったのは、二世週日本祭に向けての準備の時でした。祭りの最大のイベントの一つに、小東京一帯の道路を閉鎖して繰り広げられるグランド・パレードがありますが、それに登場する音頭の一般参加者を対象とした稽古の時です。私も彼も、その年の振り付けを担当した日本舞踊の師匠による稽古に参加していたのですが、年配の参加者が多い中で、彼の若さが一際光っていました。しかも、飾り気のまったくない話しっぷり。日本人とは日本語で、日系人とは英語で冗談を言い合っています。
南カリフォルニアで活動を展開している南米の日系人らの組織として、ペルーの他に、アルゼンチンの日系人らのグループがある。母の日や父の日、あるいは米国の独立記念日などにアルゼンチン版のバーベキュー(BBQ)である「アサド」をしたり、北米沖縄県人会の運動会の国別対抗競技に出場するなどして、親睦を深めるとともに、仕事の面で助け合ってきた。アルゼンチンは「ガウチョ(牧場労働者)」で知られる国で肉料理には定評があるだけに、「アサド」にはいつも大勢集まったものだった。
移民が米国で生きていくとき、祖国から携えてきた文化が大きな心の支えとなることが往々にしてあります。第二次大戦中に強制収容された日本人の中に俳句を始めた人が少なくなかったのですが、それは、強制収容という状況を乗り切るための力を、俳句に求めたためでした。その傾向は戦後もしばらく続きました。
ロサンゼルス地区に住む日系ペルー人らで組織していたグループ「ペルー二世協会」が1990年代半ばに自然解散状態となってから、すでに15年近く。いまだにそれに代わる新たな組織はできていないが、イベントを通じてグループを作ろうという動きはいくつか進んでいる。(*「ペルー二世協会」の創設から自然解散状態については、『「ペルー二世協会」 - ナカダさんの新たな挑戦: 戦後渡米者らの本国帰還も』 をご参照ください。)