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柳田由紀子著 『二世兵士 激戦の記録』 証言で綴る第二次世界大戦

ロングビーチ市在住のジャーナリスト、柳田由紀子さんの新著「二世兵士 激戦の記録─日系アメリカ人の第二次大戦」(新潮新書、2012年7月刊)が好評だ。売上は好調で、増刷の話も出ている。日系兵士に関する書籍はいろいろ出ているが、特定の個人や部隊に焦点を当てたものが多い中で、柳田さんの新著は、真珠湾攻撃、強制収容から従軍、戦後の日本占領、そして朝鮮戦争と、二世の戦争についての全容を示す「通史」となっている。それは、総勢約150人の証言を基にして綴られた歴史であり、そこには数々のドラマも描かれている。コンパクトな新書だが、二世らが絞り出すように口にした証言に、ひたむきに耳を傾け続けた柳田さんのジャーナリズム精神が脈打っており、歴史の重さを一身に背負った一書と言える。

柳田さんがこの書を執筆することになるきっかけについては本書で紹介されている。それは、「ゴー・フォー・ブローク全米教育センター」の仕事で2008年に訪日取材したことだった。3週間にわたり日本に住む二世と元日本人捕虜を取材し、仕事はそこで終わったのだが、柳田さんはその後も戦争に関わった二世らの話を聞き続けた。それは、日本での取材で1人の二世との出会いがあったため、と言っていいだろう。正確には、その二世の慟哭である。

2008年の日本での取材では二世7人、元日本人捕虜12人を取材した。

その時に取材した二世の1人に、1923年サンペドロ生まれの竹宮帝次がいた。竹宮は、16歳の時に祖父母の郷里である熊本に行き、その後日本海軍の兵士となって潜水艦の特攻要員となるが、生き残り、戦後は日本占領のための米軍通訳に指名され、朝鮮戦争では後方部隊を務めたが、その後も原子力潜水艦の横須賀入港や空母の横須賀配備に関わるなど、まさに波乱に富んだ人生を送った人だ。その人が、柳田さんとの話を一通り終わったところで、突然泣き崩れた。厳格な人の号泣。長い間の嗚咽。「アーとか、ウーとか言ったままなんです。私は、国って何なのか、戦争とは、祖国とは、そのようなことを思わずにはいられませんでした」。一人の慟哭を通して、歴史の重さが一挙に柳田さんに圧し掛かった。

米国に戻ってからも、柳田さんはトーレンスにある「ゴー・フォー・ブローク全米教育センター」に足繁く通う一方、そこで知り合った二世、あるいはそこで紹介された二世らを訪ねては、話を聞き続けた。

例えば、「ゴー・フォー・ブローク全米教育センター」の理事で、2008年の日本での取材で柳田さんに同行したケンジロウ・アクネ。

アクネは1923年、サンフランシスコ近郊のターラックに生まれ、1933年に両親の郷里鹿児島へ。しかし、15歳の時に米国に戻り、庭師の仕事をしていたが、日米戦争勃発でコロラド州アマチの強制収容所に送られた。そこから、陸軍の勧誘で情報部語学学校(MISLS)に入り、卒業後北ビルマに送られ、日本兵を降参させるためのプロパガンダ活動に携わる。

そこから中国に行き、引き続きプロパガンダ活動に携わっている時に終戦。沖縄、厚木を経由していったん米国に戻ったが、GHQに職を得て軍属として再度日本へ。翻訳通訳部、法務局を経て、東京裁判に関わる。英文書類の校正、そして戦犯容疑者の通訳となった。

語学兵から戦後GHQに関わった二世は他に、ジョージ・フジモリ、ジョージ・コシ、ジョン・アイソ、ハリー・フクハラ、クラーク・カワカミ、トーマス・サカモト、カン・タガミ、デイビッド・アキラ・イタミなどがいた。GHQを中心に、戦後日本占領に関わった二世は8,000人にも上るという。

もちろん、柳田さんは戦場に赴いた二世らの話も克明に聞いた。第100歩兵大隊、第四四二連隊戦闘部隊、情報語学兵(MIS)。そして、竹宮のように日本軍の兵士になった二世、日本軍による真珠湾攻撃に直面した二世、強制収容所から戦地に赴くために家族に別れを告げる二世、戦時中日本に滞在していた二世、広島で被爆した二世、朝鮮戦争に参戦した二世。元日本人捕虜の取材は、彼らに投降を呼びかけたり、尋問をした二世の語学兵らの姿を逆の立場から検証するためだった。

話を聞くだけではない。日本では取材で文字通り各地を「行脚」したが、アメリカでもマンザナ収容所跡地やシアトル、ハワイなどを取材で訪れたし、二世たちが戦ったかつてのヨーロッパの戦地も訪れた。彼らが文字通り死闘を展開したイタリアやフランスの元激戦地だ。「いくら話を聞いても、いくら書かれたものを読んでも、光景が浮かばない。書くなら行くしかない」。そんな思いだった。二世たちの魂に呼ばれたような旅。現地で彼らの体験を全身で受け止めた柳田さん。「ほんとうにひどいところばかりに送られたんです。ぎりぎりの攻防戦だったと思います」。訪れたそれぞれの地に立ち、何度も涙を流さざるをえなかった。

柳田さんがインタビューした人の中には、名前を出すことを拒んだ人もいた。人生を匿名でしか語れない人たち。彼らにインタビューに行く際は、やはり緊張した。「一生そのことにわだかまりを感じている。その話をわざわざ聞きにいくんだから、失礼な話ですよね。せめて誠意なり真摯な態度をみせたいと思ったんですが、そういう人たちこそ、とても誠実なんです」。そして、時には相手が絞り出すように語った言葉に「私にはそれ以上何も訊けなかった」ということもあった。

柳田由紀子さん (写真:岩本慶三)

そうしたインタビューを積み重ね、四年間の作業の成果がこの本となったのだが、出版後柳田さんは「この仕事について考え込まざるを得なかった」という。執筆の終盤に根をつめて体調を崩したこもあるが、そこにはやはり、竹宮の慟哭の影がある。

「本当のことを伝えるには、相手が話したくないことも聞かなければならない。言ってみれば、他人の家に土足であがっていって、あなたの一生を話してくれって言っているわけです。ずうずうしい話ですよね。だから、(今回の取材のような)仕事を今後もやる覚悟が自分にあるのか、ということ。体調を崩したのも、そのことを考えなさいということだったかもしれません」

そしてもう一つ、出版界の将来についての見通しからの自問。「出版はどんどん先細りになっていく。これからこの仕事を続けていくには『本当にやりたいからするんだ』といった覚悟がないとできないんじゃないか」。この本を出すことが、逆に柳田さんの物書きとしての性根を問うことになったと言っていいだろう。

話を聞いた二世たちの中には、すでに他界した人が少なくない。そうした意味では、彼らから話を聞く最後のチャンスだった。一人の日本人記者としてアメリカに生きて10年。「日本とアメリカを繋ぐというと何か薄っぺらな感じになっちゃうし、使命と言うと大げさ過ぎる気がするんですが、ここにいて、こういう仕事ができたのも何かの縁だったという気がしているんです」

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柳田由紀子:  1963年、東京都葛飾区立石生まれ。早稲田大学第一文学部(演劇専攻)卒業後、「エスクアイア日本版」編集部を経て、1989年に新潮社に入社。月刊「03」「SINRA」「芸術新潮」の編集に携わる。1998年に休職し、カリフォルニア大学ロングビーチ校、およびスタンフォード大学でジャーナリズムを学ぶ。その後日本に戻ったが、2年後の2001年に米国に移住。取材活動を続けている。著書に「アメリカン・スーパー・ダイエット」「太平洋を渡った日本建築」、訳書に「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」「木槿の咲く庭─スンヒィとテヨルの物語」)。「Kotoba」誌(集英社)にて「スティーブ・ジョブズが愛した禅僧─乙川弘文評伝」を連載中。

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* 柳田由紀子さんの新著「二世兵士 激戦の記録─日系アメリカ人の第二次大戦」(新潮新書、2012年7月刊)は、全米日系人博物館のミュージーアムストアーからも購入いただけます。

© 2013 Yukikazu Nagashima

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