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1990年渡米、沖縄料理店経営するバーガス真弓さん

20歳で米軍人と結婚

沖縄料理の店はビジネスとしては成功しないというジンクスを破って、2018年の12月で開店8周年を迎え、盛業を続けているのがロサンゼルス郊外オレンジ郡のタスティンにある沖縄食堂ハブ家。開店の3カ月後にロサンゼルスタイムス紙に「隠れ家的日本料理の名店」として紹介されたのがきっかけとなり、人種問わず、多くの常連客で賑わうようになった。

店内には、常連客が沖縄旅行の土産として持ち込んだ置物や、オーナー、バーガス真弓さんがアーティストとしての一面を発揮した手書きのメニューなどが所狭しとディスプレイされている。真弓さんは沖縄県与那原町の出身。「兄と弟の真ん中で、小さい時はやんちゃな感じでした。男っぽい性格。英語も好きで、カルチャー、ファッションとなんでもアメリカに憧れていました」。そして二十歳でアメリカの軍人と結婚、21歳の時に夫の異動に伴い、ペンドルトン基地に移ってきた。しかし、湾岸戦争の最中だった当時、夫は訓練のためほとんど家を留守にしていた。

20歳を迎えた長女と沖縄で撮影した1枚

「寂しかった私は何かしたいという気持ちで仕事を探し、バスで片道1時間半かかる日本料理店で働き始めました。その傍ら、アーティストとしてシーサーをモチーフにした作品作りを始めました」。娘も生まれ、育児に飲食店勤務にアーティスト活動にと多忙な日々を送る真弓さんだったが、渡米以来の夢があった。それはアメリカに沖縄料理の店を出し、成功させたいということだった。その夢は何年経っても色褪せることなく、絶対に実現させなければ、と思うようになった。

やがて、結婚生活が終わり、シングルマザーとなった真弓さんの前に、山形県出身の料理人の木村裕樹さんが現れた。裕樹さんは「幼い頃から祖母に、大伯父(祖母の兄)が戦時中、沖縄の農家にかくまわれて無事に復員することができたことを聞かされて育ちました。いつか沖縄の人に恩返しをしたいと思うようになり、料理人になった自分がアメリカの地で真弓さんと巡り会ったことで点と点が繋がって線になったのです」とパートナーとの出会いと沖縄との縁について語る。ロサンゼルス近郊の日本料理店でシェフとして働いていた裕樹さんは、真弓さんと出会った頃、日本への帰国を決めていた。しかし、真弓さんとの出会いで、「沖縄料理店を出す」という夢を一緒に実現するため、アメリカに留まった。


開店資金を完済して故郷に錦を飾る

沖縄料理の店を開けることについては、相談した10人中9人に反対されたそうだ。脂っこい沖縄料理はたまに食べるにはいいが、頻繁には食べてもらえない、ビジネスとしては成立しないというのがその理由。まさにそれが過去に沖縄料理店がアメリカで長く続かなった理由でもあった。その点、裕樹さんは日本食のシェフとしての経験を駆使し、多くの人に親しみやすい味を追求することでその壁を乗り越えようと思った。

こうして真弓さんは裕樹さんと結婚し、新しい家族と同時にビジネスのパートナーも得た。開店資金は家族と友人から借りた。「2010年のクリスマスイブの前日がオープニングでした。当日は私の日本人の友達が4人だけ。翌日のイブ当日は、なんとお客はゼロ。最初の3カ月の間は、客はほぼ身内だけでした(笑)。その流れが変わったのは、ロサンゼルスタイムスに”The best hidden Japanese Restaurant”として紹介されたのがきっかけです。店の外の角にあるリカーショップを曲がった先まで、入店を待つ長い行列ができました。それからは、大食い競争などのお客さんに喜んでもらえるようなイベント企画を考えて実施してきました。また、沖縄の雰囲気を再現するために料理だけでなく店内にも趣向を凝らしました。でも、シェフは彼(裕樹さん)一人だし、経営ということではお互い素人だったので、大げんかしながらの日々でした」と、開店当初を真弓さんはそう振り返る。

ビジネスパートナーでも夫の裕樹さんとハブヤの店で

さらに数多くの地元メディアや沖縄の雑誌にも紹介され、口コミが広がり、客足は順調に伸びていった。そして、友人から借りた開店資金は、8%の利子をつけて開店2年後に返済を終えることができた。家族への返済は5年後に完了し、その時、真弓さんは開店以来、沖縄への初めての里帰りを果たしたのだった。まさに「故郷に錦」を飾ったというわけだ。

その後も、テレビで沖縄の食文化が紹介されると、興味を持った顧客がハブ家に足を運ぶようになった。故アンソニー・ボーディンがレギュラー番組で沖縄を特集した後は、「実際の沖縄料理を試したい」という初めての客が増えたそうだ。そして、「ハブ家は今やオリオンビールの生の売り上げが全米1位。ディナータイムには100人以上のお客様が来店します」と真弓さん。オリオンビールだけでなく、グルクン、もずく、海ぶどうなど食材も可能な限り、沖縄産を仕入れているそうだ。

結婚で渡米した沖縄の女性が長年の「アメリカで沖縄料理の店を出す」という夢を実現し、パートナーと共に汗を流して働き、店は8周年を迎えた。「今後も沖縄の料理を広めていくために、店を残していくことが一番大切なこと」と真弓さんは断言する。夫婦にとって大事な子どもであるハブ家。これからも顧客にとっての「アメリカにある沖縄の我が家」のような存在を守り続けてほしい。

Habuya Okinawan Dining

14215 Red Hill Ave
Tustin, CA 92780

 

© 2018 Keiko Fukuda

Habuya okinawa orange county restaurant Shin-Issei Tustin