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日系アメリカ文学を読む

第2回 『天皇が神だったころ』

日米開戦後の日系人収容について、先日体験者の話を聞く会がニューヨークの日系人会で開かれ、会場は立ち見もでるほど人が詰めかけ、関心の高さをうかがわせたというニュースを読んだ。これも、トランプ新政権による排除的な移民政策を反映したものかもしれない。

『天皇が神だったころ』は、日系人三世の女性作家ジュリー・オーツカによる、開戦後の収容をめぐる日系人家族の物語である。

原題は英語で、「When the Emperor was Divine」である。天皇が日本の国の主権者で、神格化されていた時代、アメリカの日系人にとってはその存在や、天皇と日本人の間の関係が謎めいて映っていたことがこのタイトルに表れている。

『天皇が神だったころ』(近藤麻里子訳、アーティストハウス)

日本人であれば、「天皇」という言葉は小説のタイトルには使いにくい。重く繊細な言葉だからだ。それを使えるのは、日系とはいえアメリカ人だからだろう。

自分たちのルーツの日本とは何なのか、日本人であることはどういうものなのか、天皇が神のように扱われる日本とはどんな国なのか。日系人として血はつながっていても、ずっと遠い国のように著者は感じていたようだ。

著者のジュリー・オーツカは、1962年カリフォルニア州パロ・アルト生まれ。父親は戦後にアメリカに移民した“新一世”で、母親は日系の二世。イェール大学で美術を専攻して芸術家を志すが30歳のときに作家に転向した。

2012年には、戦前日本からアメリカに“写真花嫁”として渡った女性たちを描いた「The Buddha In The Attic(屋根裏部屋のブッダ)」で、優れた小説に与えられる「PEN/フォークナー賞」などを受賞した。 

2002年に出版された『天皇が神だったころ』は初の長編小説で、母方の家族の実体験をもとにしているという。彼女の祖父は日米開戦直後にFBIに逮捕され敵性外国人として終戦まで拘束され、祖母と母と叔父はユタ州のトパーズ収容所に三年半拘留されていた。

小説は、日米開戦後から終戦までのある日系人家族の物語だ。父親は知的で優しく、家族はメイドを雇うほど豊かでアメリカ的な暮らしをしていた。が、戦争がはじまって父親は親日家と判断されたのだろう、逮捕されひとり家族と離され、反米と見られた日系人が集められる収容所に送られる。

残されたのは、母と少女、少年の三人。住み慣れた家を不確かな約束で他人に貸して、できるだけものは処分し、持っていけるものだけをまとめ収容に備える。日本からの手紙を焼き、家族写真を焼き、日章旗を破った。

飼っていた鶏を絞める。連れていくことのできない老いた愛犬にやさしく声をかけ、その直後に頭にシャベルを打ち下ろし埋葬する。

果たして、こんなことも実際にあったのだろうか、それとも小説のために設定されたことなのか。終戦後に満州の日本人開拓民のなかで、ソ連兵などに女性や子供が襲われるのではないかというパニックのなかで、日本人自ら同胞を殺した話を思い出すが、そんなにヒステリックな状況もあったのかと想像する。

予定通り、三人は市民統制局に出頭し、身分証明書番号をつけて、他の日系人と同様に汽車に乗って収容先へと移動させられる。有刺鉄線で囲まれた収容所につくと、母は言う。

「天皇の名前を絶対に口に出さないこと」

 季節を追って収容所の生活が淡々と描かれる。あるときは少年の目から、またある時は少女や母親の目から。ときどき別の収容所にいる父からの手紙が届き、戦争がなかったころの暮らしを思い出す。

長引く砂漠のなかの生活で、母親はもうどちらが戦争に勝っているのかどうでもよくなる。しかし、軍は収容所の日系人にアメリカへの忠誠を誓うかと問う。不忠誠のレッテルを貼られることや面倒を起こすことを避け母親は「イエス」という。だがそれは「みんなただの言葉」だと思っている。

戦争が終わり家族は収容所から自宅に戻る。周囲の空気は不穏だ。日本と戦い死んだ兵士、傷ついて帰還した兵士。日本軍の野蛮な行為が思い出され、卑劣だとジャップはののしられる。日系人家族は、何を言われても我慢しなければいけないし、できるだけ周囲と摩擦を起こさないように「すいません」と、頭を下げ、身を潜めて生きていかなかればいけない。

こうした卑屈ともいえる身の処し方を著者はつづるが、それは理不尽なものへの怒りであることが徐々に読むものに伝わってくる。

やがて父が戻ってくるが、その姿はすっかり変り果て、収容された間のトラウマがあり働くこともなく家に閉じこもったままだ。最後は、この父親が逮捕後に受けた体験の告白という形で、この怒りはさらに高まる。

私は、破壊活動家であり、ジャップであり、ずるがしこく、無情で、残酷だと。そして、「私が悪かったんです(アイアム ソーリー)」と締めくくる。

一世、二世の多くが戦争体験を仕方ないものだと耐え、次世代にほとんど語ることがなかったその事実を三世以降が知ることによって、自分の尊厳を傷つけられたとして怒りを新たにする。これは、もちろん日系人であるからだが、それ以上にアメリカ人(国民)としての強烈な意識があるからだと感じざるを得ない。

 

© 2017 Ryusuke Kawai

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About this series

日系アメリカ人による小説をはじめ、日系アメリカ社会を捉えた作品、あるいは日本人による日系アメリカを舞台にした作品など、日本とアメリカを交差する文学作品を読み、日系の歴史を振り返りながらその魅力や意義を探る。