アマゾンの日系社会

ボランティアの目から見たアマゾンの日系社会について、一世、日系人、日系社会、文化、日本語、いろいろな角度から語るジャーナル。日々の活動を通して感じたこと、日系社会の歴史と現状、等々をお伝えします。

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第9回 高拓生の熱き思いはいつまでも〜

JICAボランティアの任務が終わった。帰国前は数か月間、活動終了に向けて追い込みをかけるようにあちらこちらの学校を巡回した。帰国してからは諸々の手続きやら就職活動やらに追われ、3か月が過ぎた今、ようやく落ち着きを取り戻した。最後に寄稿してからだいぶん時間がたったが、任期中、「書きたい」とずっと思っていたことがある。「アマゾンの日系社会」と題する本コラム、それを語る上で忘れてはならないことである。幸い、任期後も執筆を続けることを許していただけたので、今回はぜひそのテーマについてお話したい。

「安井さん、『宇宙』はどうですか。ご主人もお喜びになるんじゃないですか。」

「あら!それ、いいわ!それにします!」

満面の笑顔で半紙に向かわれる姿は ...

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第8回 トメアスーの農業

「ここにアマゾン移民が最初に着いたんですよ」

CAMTA(トメアス総合農業協同組合)元理事長の坂口渡フランシスコさんが教えてくださったのは、アマゾン川支流にある小さな川岸。ここに43家族189人が到着したのは、1929年のこと。彼らがはじめにとりかかったのはカカオの生産。アマゾン開拓のために、日本政府の指示を受けた鐘淵紡績株式会社が出資して設立した南米拓殖株式会社とともに取り組んだ。1931年にはアカラ野菜組合が結成され、野菜や米作りも手がけるようになったが、熱帯病患者の増加と熱帯農法の知識不足によるカカオ栽培の失敗で、南米拓殖株式会社は撤退せざるを得なくなった。

植民地を自ら運営することになった入植者は、組合をアカラ産業組合に改組。自分たちの生活を支えるべく農業に勤しんだが、その後、マラリアが蔓延したことで多くの人がトメアスーを離れることとなった。

戦時中も戦禍が組合事業にまで及び苦しい状況が続いたが、終戦後、トメアスーの歴史を語る上で忘れてはならない大きな出来事があった。1930年代にシンガポールより持ち込まれた胡椒が、莫大な富を生んだのである。「黒いダイヤ ...

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第7回 アメリカ人青年、74年の歳月を経て再びトメアスーへ

「一昨日、すごいことがあったんです!戦時中にトメアスーへ来たアメリカ人が、野球ボールを持って来てくれたんです!」・・・そう興奮しながら話すのはパラー州のトメアスー文化協会の乙幡敬一会長。「野球ボール?」と聞くと、「映画になるような、感動的な話」とニコニコしながら話し始めた。

1942年、サンパウロの大学に留学していたアメリカ人ジョルダン・ヤングさんは、第2次世界大戦が始まったことを知り、帰国手続きを始めていた。船便の順番待ちをしていたときに、大使館から依頼された、ロックフェラー財団によるブラジルの労働条件の調査の仕事でいくつかの地方を回り、最後にアマゾン地方の調査のためトメアスー日本人入植地へ向かった。

敵国である日本からすでに多くの人が移住していた日本人入植地へ行くのは、とても怖かったと言う。そして、硬い表情をして待ち構えていた日本人の中には、小銃を持っている人もいたようで、ジョルダンさんの緊張はさらに高まったそうだ ...

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第6回 カスタニャール日本語学校 歴史をたどる

鍵のかかった扉を開けてもらい中に入ると、少しひんやりとしている。電気は切れているが、外からの日差しで充分に明るい。まず正面に校歌と校訓。右側の壁には初代校長信重時晴先生の肖像画。左には職員室。埃はかぶっているが、積み上げられた教材はどれも今でも使えそうなものばかり。六つほど教室があり、一つは木の床でできていて歩くと所々でミシッという音がする。いろいろな機材もそのまま残されており、そこにいると、子どもたちの元気な声が今にも聞こえてきそうだ。

「昔の校舎に教材がたくさんあるから、一度、見に来てください」と、元校長の山瀬楢雄先生に言っていただき実現した旧校舎見学。どんな先生方がおられたか、何人ぐらい生徒がいたか、どんな活動をしていたかなど様々なことを山瀬先生からお聞きし、活発に学校を運営されていたころの様子を窺い知ることができた。

1923年にパラー州知事となったデイオニジオ・ベンテス氏が ...

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第5回 節目の年と出会い 

昨年、日伯外交関係が結ばれて120年目を迎えたことを記念し、両国で様々なイベントが行われた。ここアマゾンでも各地でいろいろな行事が催され、ブラジル社会にも日本のことがこれまで以上に知られたのではないだろうか。任期中にこのような節目の年が迎えられたことで、私も多くの行事に参加することができてラッキーだった。そして、任地ベレンでは、節目の年はこれだけに限らなかった。

アマゾン日本人移住85周年(2014年)、アマゾニア日伯援護協会50周年(2015年)、パラー日系商工会議所30周年(2015年)と、この1年半で三つの記念式典に参加した。私にとってこれらは派遣先でのイベントというだけでなく、人との出会いにも関係し、強く印象に残っている行事である。

ベレンに着いて1か月ほどたったころ、初めて、郊外の町トメアスーへ日本語学校の授業を見るために出張に行ったときのこと。アマゾン第1回移民の山田元さんと偶然お会いし ...

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