ジャーナルセクションを最大限にご活用いただくため、メインの言語をお選びください:
English 日本語 Español Português

ジャーナルセクションに新しい機能を追加しました。コメントなどeditor@DiscoverNikkei.orgまでお送りください。

アマゾンの日系社会

第6回 カスタニャール日本語学校 歴史をたどる

鍵のかかった扉を開けてもらい中に入ると、少しひんやりとしている。電気は切れているが、外からの日差しで充分に明るい。まず正面に校歌と校訓。右側の壁には初代校長信重時晴先生の肖像画。左には職員室。埃はかぶっているが、積み上げられた教材はどれも今でも使えそうなものばかり。六つほど教室があり、一つは木の床でできていて歩くと所々でミシッという音がする。いろいろな機材もそのまま残されており、そこにいると、子どもたちの元気な声が今にも聞こえてきそうだ。

山瀬楢雄元校長先生(筆者撮影)

「昔の校舎に教材がたくさんあるから、一度、見に来てください」と、元校長の山瀬楢雄先生に言っていただき実現した旧校舎見学。どんな先生方がおられたか、何人ぐらい生徒がいたか、どんな活動をしていたかなど様々なことを山瀬先生からお聞きし、活発に学校を運営されていたころの様子を窺い知ることができた。

1923年にパラー州知事となったデイオニジオ・ベンテス氏が、当時の駐ブラジル日本大使田付七太氏に開拓目的の日本移民受け入れを持ちかけ、田付氏がこれを承諾したことを機に、アマゾンへの日本人入植の準備が開始された。入植者は徐々に増加したが、終戦時にカスタニャールに残っていたのは2家族のみ。しかし、1955年に戦後初の移住がスタートしてからは、また少しずつ増えていった。

ベレン市に汎アマゾニア日伯協会が1958年に設立された後、その支部として郊外にカスタニャール日伯文化協会が誕生したのは1966年。わずか16名だった会員は、1974年には104名になった。協会設立当初は運動会のみを行っていたが、次第に、各種講習会や農業物品評会などの事業も増え、その中の一つとして始まったのが日本語学校の運営であった。

信重時春初代校長先生(筆者撮影)

1970年、カスタニャール日伯文化協会の理事だった信重時春氏は、コロニア子弟のために日本語学校を開設。教師2名、生徒34名でスタートした学校は、年々大きくなり、1974年には分校1校が、翌年にはさらにもう1校が開校され、生徒数も100人を超えた。運営母体も日伯文化協会から独自の委員会に移り、教育資材の確保や教室増設など活発な活動が行われた。一世の父兄が、自分達の子どもの日本語能力向上のために始めた日本語教育だが、1977年になると、生徒だった二世が助手として学校運営に関わるようになった。いずれは一世教師が少なくなり、二世が中心になって教えていくことを見据えて、いろいろな教師研修会にも積極的に参加し始めた。

1980年代に入ると運営状況はさらに活発になり、経済的にも余裕ができ、教師への謝礼も支払われるようになり、日本語能力試験の合格率も90%以上と、活動実績も数字でしっかり残した。日系人であっても、ブラジルで生まれたのだから、ブラジル社会で立派に生きていってくれることを父兄は願っていたが、日本人であるからには日本語を覚えてほしいとも当然思っていた。しかし、それを強制できるものでもなく、子ども達自ら日本語を含めた日本文化に興味を持ってくれるよう、授業だけでなく、学習発表会のような行事もいろいろ催し、少しでも子ども達が楽しく学べるようにしたとのこと。日系社会の今後を背負って立っていく二世、三世を育てていきたいと強く思っていたそうだ。

1980年代後半から2000年初頭に起こった日本への出稼ぎブームで、北伯全体の日本語学習者が減少したが、カスタニャールも例外ではなかった。それでも、子ども達が学校へ来る限りは応えていきたいという思いで続けておられたようだが、諸事情により一時は閉校せざるを得なくなった。しかし、学校運営が最も活発だったころに学んでいた二世が、自分たちの子どもに日本語を学ばせたいということで数年前に再開され、今は、隣町の教師2名とJICAボランティア1名で約20名の生徒に教えている。

私の配属先、北伯日本語普及センターの理事長である山瀬先生が教鞭を取っておられたこの学校。それだけでなく、私が日本で教えていた生徒さんの中に信重初代校長先生のお孫さんがおられたこと、JICAブラジル職員のお一人の母校であることも、この学校が私にとって特別な存在として感じられる理由だ。他の学校と同様に長い歴史の中で日系社会と強くつながってきており、北伯の重要な学校である。これからも、大切に、丁寧に、支援をしていきたいと思う。

【参考図書】

『日伯文化協会20年史』1986年(カスタニャール日伯文化協会)

『開拓50年の歩み』1975年(汎アマゾニア日伯協会カスタニャール支部)

 

© 2016 Asako Sakamoto

Brazil castanhal Japanese language school

このシリーズについて

ボランティアの目から見たアマゾンの日系社会について、一世、日系人、日系社会、文化、日本語、いろいろな角度から語るジャーナル。日々の活動を通して感じたこと、日系社会の歴史と現状、等々をお伝えします。