ディスカバー・ニッケイ

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放射線と拒絶:日本とアメリカで非難される
放射線と被爆者の起源原爆の放射線、黒い雨の放射能による黒い色素、死体による汚染は、他の犠牲者が渇きを癒すことができなくなる前に、給水に影響を及ぼしました。この時点で、命にしがみついていた犠牲者たちは…

ツ二 トシヤ・P・マクダニエルス • 2021年10月22日


第22回 広島で平和運動に取り組むが…
知事に請われて県広報委員長にも 日米開戦後アメリカから日米交換船で郷里の広島に引き揚げてきた加藤新一は、中国新聞の記者となり、一時は編集局次長の職についた。その後同社に誕生した従業員組合の委員長(…

川井 龍介 • 2021年10月8日


日本のキウイ
私は代々続く武士の家系の出身です。両親の吉岡妙子とノエル・ブレイドの6人兄弟の5番目です。私の両親は、父が朝鮮戦争の任務中に日本占領下で休暇を取っていたときに出会いました。父は25歳で第16野戦連隊…

ジャックリン・ヨシオカ=ブレイド • 2021年10月7日


第20回 アメリカ撮影の映像の中に
原爆投下からひと月ほどして加藤新一は、広島を訪れた赤十字駐日首席代表のマルセル・ジュノー博士の通訳兼案内を担った。そして11月1日付で政治部長に就任、翌46年2月には、社長交代にともなう中国新聞社の…

川井 龍介 • 2021年9月10日


第19回 被爆直後の中国新聞と加藤
原爆による広島の街と人の惨状を目にしたこと、そして弟と妹を原爆で失ったことは、のちに加藤新一が平和運動に邁進する原点であった。 前回紹介した、被爆当日に広島市内を駆け回った加藤の手記のなかで、弟、…

川井 龍介 • 2021年8月27日


第18回 原爆の日を駆け回る
1945年8月6日、中国新聞の報道部長だった加藤新一は通勤途中、西広島駅近くにいて原爆の閃光を見て、すぐさま市内の中国新聞本社へ向かった。その時見たもの感じたことなどを記録、26年後の1971年に自…

川井 龍介 • 2021年8月13日


第17回 広島はアメリカ2世の郷里だから?
日米開戦から8ヵ月余の1942年8月20日、日米交換船で日本へ戻った加藤新一は、郷里の広島市で中国新聞の記者となった。いつからどのような経緯で就職したかはわからないが、アメリカでの邦字新聞の記者とし…

川井 龍介 • 2021年7月23日


3冊の本、1つのメッセージ
平和のために常に努力すべき理由を学ぶのに早すぎるということはない昨年、国際平和デー(9月21日)は、第二次世界大戦終結75周年記念のわずか数週間後に祝われました。歴史のこの節目は、私たち大人が子供た…

カーリーン・C・チネン • 2021年5月16日



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