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アメリカ東海岸唯一の文芸誌『NY文藝』―その9/9
その8>>4.『NY文藝』の意義『NY文藝』の意義の一つはこの雑誌が日系日本語文学の歴史において、東海岸で発行された唯一の文芸同人誌であったことである。
アメリカの経済と文化の中心地であるニューヨー…
山本 岩夫 • 2011年10月21日
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日本社会と日系人の懸け橋として活躍するアルベルト松本さん ―その1
「根性の人」。そんなイメージを抱かせる人である。1962年にアルゼンチンで生まれた日系二世。名門、サルバドル大学政治国際関係学部を1988年に卒業した。学生時代にマルビナス戦争(フォークランド紛争)…
山口 祐輝 • 2011年10月20日
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第14回 音いろいろ
ポチは日本のいぬしっぽをふって 「ワンワン」ペリーはブラジルうまれワンワンはわからないぺりーは 「アウアウ」アウアウしかしゃべれない
日本のねこは 「ニャーニャー」にわとりは 「コケコッコー」…
ラウラ・ホンダ=ハセガワ • 2011年10月19日
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「マンザナールよさらば」 ジョン・コーティ監督へのインタビュー
「常に世の中を変えたいという意志があったんです。」
1度のアカデミー賞と2度のエミー賞を始め、数々の映画賞に輝くジョン・コーティ…
エスター・ニューマン • 2011年10月19日
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それはグローバルな旅の結果―ブラジルの栽培作物の変化と日本移民- その4
その3>>3)ハワイ・パパイヤがコショウの生産地を救うパパイヤはコーヒーと並んで、世界一の栽培量(2003年171万5000トン)を誇るブラジルの果物で、世界のパパイヤの約3割をブラジル産が占めてい…
三田 千代子 • 2011年10月18日
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アメリカ東海岸唯一の文芸誌『NY文藝』―その8/9
その7>>(3)評論.随筆カール・ヨネダが随筆と評論をあわせて9編書いているが、それらの特徴は彼の人生の回顧であり、反戦平和と反人種差別の姿勢であり、家族への愛情である。
彼は「訪日余話」(第7号)…
山本 岩夫 • 2011年10月14日
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第13回 あんた、ニセイ語わかる?
学生のころ、おなじクラスに面白い子がいた。
彼女は日系人で、家ではほとんど日本語で話していた。
クラスの90%はブラジル人なのに、その子はどうどうと日本語の言葉を使っていた。
「あんた, es…
ラウラ・ホンダ=ハセガワ • 2011年10月12日
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それはグローバルな旅の結果―ブラジルの栽培作物の変化と日本移民- その3
その2>>3.日本移民が変えたブラジルの柿、リンゴ、パパイヤ日本移民は、3起源の作物を改良している。つまり、既存のもの、外来のもの、日本伝来のものである。これらの3起源の栽培植物は時間的にも空間的に…
三田 千代子 • 2011年10月11日
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アメリカ東海岸唯一の文芸誌『NY文藝』―その7/9
その6>>花江マリオはニューヨークの領事館に勤め、後にペルーの領事館へ転勤している。彼の創作は7編で、他に戯曲も書いている。作品は太平洋戦争に絡むもの、一世と二世の関係を描くもの、南米の日系社会を扱…
山本 岩夫 • 2011年10月7日
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タイムレス & タイムリー
今から70年ほど前、日系アメリカ人を乗せた最初のバスがマンザナールに到着しました。彼らはカリフォルニア沿岸部の家を追われ、第二次大戦が終わるまで鉄格子の中に収容されました。収容所を取り囲む見張り塔に…
エスター・ニューマン • 2011年10月7日